夏川りみさんと遊ぼう掲示板353
- [3530] 皆様のりみさんへの熱い想い 投稿者:ぬち花 投稿日:2007/06/01(Fri) 02:48
- 久々に書き込みいたします。
書き込みこそいたしませんでしたが、日々何度もアクセスし、皆様のりみさんへの熱い想いにパワーをいただいております。何かコメントを、と思うのですが・・・・皆様の熱い想いに会話ではなく活字でお答えすることは、私の文章表現力ではまず不可能に近く、かえって誤解を与えてしまってはと、ついついコメントを差し控えております。なので、いつの日か皆様と直接お会いして存分にりみさんについて語り合ってみたいと願っております。
でもこんなことなら書けるかな。
りみさんのコンサートでの思い出。挙げたらキリがありませんが、ひとつ気になっていることがあります。それは、去年11月に行われた愛知県北名古屋市での「とことわ」皆様もご存知のことと思いますが、このコンサートは北名古屋市誕生を記念して行われたもので、主催は「夏川りみコンサートを成功させる会」当時これを知った時の驚きもさることながら、今あらためてこの日のパンフを手に取ってみると、再びその時の感動が甦ります。この団体の方々は今、どんな活動をされているのでしょうか。この会の熱意が私の心を揺さぶり、今でも強烈な印象として残っている「とことわ」です。
ここに集う皆様のりみさんにまつわる思い出話も是非聞いてみたいです。
ジプシーさんの「3524」の書き込みに誘発され、久々の書き込みにも係わらずつい長々と書いてしまいました。
ジプシーさん、ありがとうございます。あなたは本当にすごい方です。
[3529] 嵐山 投稿者:はる 投稿日:2007/06/01(Fri) 01:53
- 学校の旅行で大阪、京都に来てます。嵐山行きました。アリゾナの魔法思い出しますね。
- [3528] 調子に乗りすぎ 投稿者:迷い人 投稿日:2007/05/31(Thu) 23:43
- 私の独断的なコメントは皆様のヒンシュクをかったかもしれません。そうであれば、お許しください。
[3527] 時間と生命 投稿者:迷い人 投稿日:2007/05/31(Thu) 08:52
- この掲示板を読んで、昨晩は物思いにふけっておりました。
「過去、現在、未来と生命」について考えると、問題が深いだけに、その焦点は三人三様(4人4様かな)で、興味深いものがありますね。それだからこそ、この掲示板のすばらしさがあると思っています。私は、解釈好きだから、その相違点についての私の解釈を少し述べさせてください。
吉野や様のお考えは、生命体の不連続性を問題にすることにより、より一層現実を重視する、というパワフルな現実肯定論だと思います。現実を燃焼されてこられた強烈な生命がそこにあります。
私の考えの中心は、生命の伝達です。現実の生命は、過去の生命の死によりもたらされ、将来の生命のためには現生命は消滅する必要がある。しかし、過去のものは、目に見えなくても(たとえ記録媒体がなくても)、ミクロのレベルでしっかりと我々に引き継がれており、将来にも引き継がれる、というものです。
ハイフェッツ様のお考えは、生命体の不連続性は当然であるが、半永久的な記録媒体の出現により、現実の価値あるものは将来的に保存されていく、というお考えであると思います。
ジプシー様は現実は過去を土台にして成り立っているが、現実は偶然性が支配しており、瞬間瞬間が唯一無二のものであるというお考えだろうと思います。
相互の矛盾点は「全く」と言っていいほど、感じられませんね。この掲示板にいると楽しくて、最も重要であるはずの日常が味気ないものに感じられてしまう、のが現在の私の悩みです。
ジプシー様
吉野や様はまだまだラジカルです。心配ありません。ジプシー様がご心配された吉野や様のコメントは、完璧を追求するあまりの、若干、弱気に見える発言であったように思います。それにしても、ジプシー様のコメントは、涙腺を刺激しますね。
こんなことをここでお聞きして、しらけるかもしれませんが、以前にご指摘いただいた「紙芝居的技法」というのは、どのようなものであるのか、(可能であればですが)、具体的に説明していただけませんでしょうか。なんとなくわかるのですが、言葉としてはっきりと認識したいので。
[3526] RE 投稿者:吉野や 投稿日:2007/05/31(Thu) 06:51
- ハイフェッツさん
たしかに記録されたものが時の流れを超えて再評価されることと思います。
万葉の人々の歌が現代においてなお、口にされ
心を寄せられていることなどを考えましてもすごいことですね。
> 同時代に彼女の永遠の魅力に気づき応援してきた方々もまた、
> 後の人たちに何かを伝えていくものだと信じます
力強いお応えをくださり、ありがとうございます。
ジプシーさん
> 奇蹟
私自身も一歌手への傾倒に尋常ではないものを自覚します。
なお、たくさんお気持ちありがとうございます。
とにかくがんばります。
[3525] 『花』 投稿者:Rei Kosugi 投稿日:2007/05/31(Thu) 06:37
- ジプシー様
いつも拙作にコメント頂いて嬉しいです。
私が解説を省きすぎてしまいました。
てぃんさぐ先生は日本の国会議員の方です。
但し『花』の作者ではありません。(衆院です)
三年前の夏、私はポートランドで投票用紙を受け取り
6日間アラスカハイウェイを走って(車です)アンカレッジで
『花』の作者へ一票を投じました。喜納昌吉さん当選でした。
その時は夏川りみの「な」も「り」も私は知りませんでした。
『花』は私が学生の時の当時の「新曲」。
その後さまざまな日本の歌手がこの名曲を歌ってきました。
私的にはりみさんの歌を聴くまでおおたか静流さんの「花」が
一番好きでした。が
U-tubeでりみさんの歌うのを聴いて、息がとまるほど感動しました。
アレンジとして、あのオーケストラの使い方は見事です。
前奏のみ静かに流して、ピタッと止め、後は
りみさんのアカペラの『花』が日本中に沁みていくようでした。
「21世紀の日本の歌はこの人が牽引していくのだろう」と
あれを聴いた多くの人が思ったのではないでしょうか。
おおたか静流さんは別格の素晴らしい歌い手だと思います。
「みんな夢の中」。 これは私的にはおおたか静流さんに軍配を上げます。
りみさんはこの曲を歌い終え、珍しく大変に表情が硬かった。
本人が一番よく判っていたのでしょうか。
きっとじっくりこの歌と向き合う時間は無かったのでしょう。
>おしゃべりしませんかぁ~?
につられて思わずだらだらと書いてしまいました。
偶然…というより当然のシンクロナイズでしょうか
このところ、私も200年後のことにしきりに想いを巡らしておりました。
いずれ私の想いは写真集『りみ』のエピローグ、極遠未来ジャーナルで披瀝しようと思っています。
いつになることやら?
[3524] みんなと楽しみたいなぁ~ 投稿者:ジプシー 投稿日:2007/05/30(Wed) 23:17
- こちらをご覧の皆様
私のコメントの為、少々(いや、大いに)掲示板が重苦しくなっておりますようですね・・
なかなかこうした時には、カキコしにくいですよね・・
でもそんな時だからこそ、新しい話題を出していただけたら、もっと楽しくなるような気がします。
たとえば、前に行ったりみちゃんのコンサートでの思い出とか、初めて買ったCDの事とか・・
何でも、気楽に話してみませんか?
自分の発言に誰かが答えてくれると、もっと楽しくなりますよぉ~
一緒におしゃべりしませんかぁ~?
[3523] 身は果つるとも・・ 投稿者:ジプシー 投稿日:2007/05/30(Wed) 22:10
- 西暦2007年、和暦平成19年、日本時間22時06分。
すなわち、今日たった今のこの時、この瞬間にりみちゃんやここに集う方々と、同じ時の中に生きていられる事を奇跡と思い、至上の喜びと感じます。
私が今、ここに存在するのは、父や母がいたからであり、同じく、りみちゃんや皆さんが存在する事もそれぞれのお父さん、お母さんがいたからであります。
たった一人の事であれば、さほど気にするような事でも無いのだろうと思います。
悠久のこの星の歴史から言えば、瞬きの一瞬にも満たない事柄なのでしょう・・
しかし、その一瞬にも満たないようなわずかな時に、これほどたくさんの人々が、しかも、それぞれの眼差しの先に同じ事柄を捉えている・・
こんな不思議な、こんなすごい事・・
私にはどうしても奇跡としか思えません。
ほんのわずかにでも時間がずれていたら・・
こうして出逢う事はかなわなかったかもしれません。
りみちゃんに出逢い、たくさんの喜びを与えられ、また、それが縁でたくさんの友に出逢い、多くの感動にめぐり合える・・
よく使われる言葉ですが、『一期一会』・・ 私は、この言葉に託された心を忘れないよう、良きも悪きも一つ一つの出逢いを命の贈り物と思い、大切にして行きたいと想います。
吉野やさま
人が老いて朽ちてゆくのは自然の理・・
哀しき定めではありますが、同時に、生きている喜びを感じるのも人なるが故・・
ならば、命ある限り精一杯その思いを貫くのが、人としての使命であるかとも想います。
この場で公言する事ではありませんが、もしも、吉野やさんが、年寄りなるが故、痴呆になったり、寝たきりになったりして、誰もそのお世話をする者がいなくなるような事があれば、不肖、私が貴方をお連れして『夏川りみコンサート』へ参り、りみちゃんに貴方の生きた証を見せてあげたいと想います。(私、本気ですよ)
大層な事を申しましたが、人間みな、何が起こるかわかりません・・
私が先やも知れません・・
その時は、ご容赦ください。
[3522] 迷い人様、吉野や様、割って入ってすみません 投稿者:ハイフェッツ 投稿日:2007/05/30(Wed) 21:36
- 現代のスターの100年後、200年後は?
この問いに100年前、200年前のスターの現在の評価を当てはめることで考察するのは如何かと思います。
250年前の当時モーツァルトを賛美するした者もしなかった者も、現代には誰も残りませんでした。
現代に魅力を伝えるのは、彼の書いた「楽譜」という「音楽」作品のみでしかありません。
しかし130年ほど前、アメリカ人がすごいものを発明!言うまでも無くエジソンによる蓄音機です。
当時はマイクの技術が充分でなく音楽の魅力を伝え切れなかったことは知られています。
今から100年ほど前、晩年のブラームスがこの蓄音機に自身の演奏を録音して聴いたところ、
あまりに音質がひどく、それが自身の演奏の衰えによるものと判断し引退のきっかけとなったことは有名です。
しかし現在は良くも悪くも電子化の時代。
CDで半永久的に夏川さんの記録は残り、インターネットで吉野や様の言葉や似顔絵も残ることでしょう。
一人ひとりの山谷はあるにせよ、その人その人の軌跡はかけがえの無いものですね。
記録が残る以上、再評価される可能性はあるのですね。
吉野や様のお心、実は痛く私の心に染み入ります。
ですから敢えて私なりのエールです。
・夏川さんという一人の素晴らしい女性の音楽は後世にまでも残ることでしょう。
・同時代に彼女の永遠の魅力に気づき応援してきた方々もまた、
後の人たちに何かを伝えていくものだと信じます。
・それが直接的であるか間接的であるかは問いませんが、 何かを伝えていくのだと思います。
[3521] 絵画館の下の方、拙作「デッサン1」での書き込み復唱 投稿者:生命体の吉野や 投稿日:2007/05/30(Wed) 18:40
- 迷い人さん
引用です。
【投稿者:吉野や 投稿日:2003/03/14(Fri) 05:52 】
「私、いかなる方法でも、りみさんを描く時は
りみさんの歌を聞いて、受信する感動とは逆に、
こちらのイニシアティブが感じられ、
送信する感動といいますか、そんな喜びに似た
充実感を味わいます。
りみさんを描く時は、まさに命少ない自分を自覚する
昆虫のような気分です。
せみがミーンと鳴くような気分じゃないかと思います。(以下省略」
4年前にそのような気持ちで描いていた自分と大きく変わらぬものを感じます。
ただ、私の生命体としてのライフパワーはダウンの一途をたどっているはず。

