夏川りみさんと遊ぼう掲示板352
- [3520] 生命体たる私 現在にしか問えないもの 投稿者:吉野やなる生命体 投稿日:2007/05/30(Wed) 18:32
- 今から100年前と言えば1907年。明治40年。
そのころの歌姫がどなたであったか、私はまったく知りません。
同様に1807年。文化4年ということらしいです。
当時の歌姫の存在はまったくわかりません。
2107年。そのころにも元号はあるのでしょうけれど。
現在、25歳の方が125歳という超高齢に。
私は・・・・・。無なる存在に。その存在さえも問われるはずもなく。
そのように今を原点として時間的な前後100年レベルで見ていけば、
今あるさまざまな価値が今命あるものであるがゆえの命題としてさまざまに実感されることと思います。
私の場合。
私がいて、りみさんが同時代の歌姫としてがんばっておられる、この偶然の中で、
私はずっと継続的で変わらぬ喜びを禁じえない心地を保ちつづけてまいったのでございます。
時というものが持つクールな、命あるものへの定めをこそ、ひとつの指針や悟りに変換し、
私は瞬間ごとに変容する諸般に流されず、りみさんを感じ続けて来られたことは
私にとっての最善のひとつであったと評価できる事柄です。
そこでこそ現在をありがたく捉える根拠が実感されます。
りみさんのコンサートに行けたり、CD音源を聞くことができたり、
りみさんの似顔絵を描くことができたりと、素朴な事がらが、
私にとっての生命のありようだ、と自身に言い聞かせております。
[3519] 現在と200年後 投稿者:迷い人 投稿日:2007/05/30(Wed) 17:08
- 現在などは200年後から見れば取るに足らないものでありますが、その現在がなければ、200年後もありえないという矛盾。200年後にはりみちゃんも現在のりみちゃんファンもいないけれど、そこには絶対的に「りみちゃんとそのファンが残したもの」からの影響が残ると思います(どういう形で残るかはわかりませんが)。
私たちがすばらしいものを見つけ、感動し、癒され、そして、それを心の底から応援し、さらなる活躍ができるようにと祈ったこと、こういうものすべては、200年後のすばらしいものの出現を生み出す土台になるのではないでしょうか。
土台になるというのは言い過ぎかもしれません。私たちと同じように、200年後にもすばらしいものが現れ、それを応援する人が出てくるでしょう。それは、常に入れ替わっていくはずのものです。「りみちゃんとりみちゃんファン」が200年後にも続いていたら、恐ろしいことですね。次にバトンタッチするときに、「こんなにすばらしいものがあったんだよ」と伝えたい。そんな気にさせるのがりみちゃんです。
将来に何かを残すために現在を生きているというのも、少し違和感がありますね。「残すため」ではなくて、「残る」のだろうと思います。残すために何かをするのではなくて、「現在を燃焼させたい」のほうが、本当かもしれません。りみちゃんから与えられた現在の喜びは、何か、将来へのつながり、将来への祈りを感じさせる。りみちゃんとりみちゃんの歌はそういうものを持っているのかなあ、と思います。
書きながら考えているので、ちょっとちぐはぐなところがあるかもしれません。こんなものでも、出してしまえるのが掲示板のよいところでしょう。「出しちゃえ!」という気持ちで、いまから送信ボタンを押します。
[3518] 現在とは 投稿者:迷い人 投稿日:2007/05/30(Wed) 08:54
- 吉野や様の発言でこの掲示板の内容が、また一段階深まりましたね。何かを書きたいのですが、今は時間がありません。
何も書けないかもしれませんが、少し考えてみたいと思います。
- [3517] ジプシーさん 投稿者:吉野や 投稿日:2007/05/30(Wed) 07:16
- 2曲のお教えありがとうございます。
「安里屋ゆんた」のゆったりした感じはもう体の芯から
乗っけられますね。
徐々にスピードが上がっていっても、みごとに乗っかり、
楽しめそうですね。
三線の音色が、あの歌のひびきが強いいざないをしてくれます。
「クラブの唄」ですか。仲間意識を高め、ひとつの
アイデンティティとして大切に歌われていくのでしょうね。
学校の校歌のように。
三線の音、無性に聴きたくなりました。
[3516] 現在論 りみさんの応援はまさにここからの射程感覚 投稿者:吉野や 投稿日:2007/05/30(Wed) 07:10
- ジプシーさんの溢れ出る思いをかみしめております。
りみさんへのお気持ち。
そして掲示板に臨まれる時のお気持ち。
そして不肖なるわたくしへのお心遣い。
ありがとうございます。
先日、事情で老人ホームを訪問いたしました。
ほとんどが80歳代後半以上の方々。
職員の方が「●○さん、お名前は?」と聞いても
おばあは「なんでしたかいな?」とお名前を答えられないご様子でした。
同様に私、正直、年取り要素を複数自覚しています。
名前も答えられないのに、りみさんの歌を聞き、りみさんの
応援は無理だろうと。
このままいつまで「りみさん・りみさん」と言っていられるのか、
あまり言い続けることは不可能かも、などと本気で思い始めたのが、先日の書き込みの本意です。
ただ、ジプシーさんのおっしゃりも心に収めてここ3週間ほど過ごしています。
這いつくばりのりみさん応援もいいかな、とも。
いつも思いますのは、200年後、りみさんもりみさんのファンも、
当然この浮世にはいない、ということです。
であるからこそ、私にとっての、りみさんの歌からの感動と
りみさんへの想いが続いてきたと考えております。
まことに哀しいできごととして、
坂井さんのことなどを考えましてもますます私の現在論を補強してまいるのでございます。
[3515] 迷い人さんへ 投稿者:はる 投稿日:2007/05/30(Wed) 06:30
- コメントありがとうございます。
同時期コメント発見ですか。本当に見つけた時は嬉しかったですよね。
私は音楽の事を勉強をしているにもかかわらず、全くわかりません。
色々と教える事が出来るかどうかわかりませんができるだけ聞き分けてみたいと思います。
[3514] 若い方の早世は哀しい 投稿者:ジプシー 投稿日:2007/05/29(Tue) 23:48
- 「ZARD」の坂井泉水さんの訃報に接し、心より哀悼の意を表します。
[3513] ご厚情に感謝 投稿者:ジプシー 投稿日:2007/05/29(Tue) 22:53
- 吉野やさま
ハイフェッツさま
迷い人さま(人生は生涯、迷いの中にあるとは思いますが・・ ・・・)
心に響く「ご返礼」深く感謝いたします。
また、『感動』・・に対しても、心溢れるコメントを頂き、とても嬉しく思います。
ありがとうございます。
吉野やさま
先日は大変失礼をいたしました。
貴方の想いも分からず、自分勝手なことを申しました。
ずーと気になっておりました。
私は、貴方からあのような発言があったことが寂しかったのです。
私にとって『吉野や』という存在は、今の自分がこうして、ここに居られるという事の、大きな支えになっていると想っているからなのです。
旧Net-BBSから、ずーと貴方に(もう一人、ランさまもいらっしゃいますが・・)支えて頂いていたと想っております。
その、心の拠り所である貴方から、ほんのわずかにでも「気弱な発言」を聞かされるとは思っていなかった・・
だから私はすぐに反応しました。
でも、今はその思いは、子供が親に見せる「甘え」の感情なのだと分かりました。
吉野やさんには、ある『想い』があっての事ではないかと、今は感じております。
ただ、そうは言っても、大きな存在である事に違いはありません。
これからも、出来るだけ多くの事を私たちにお示しくださるようにお願いいたします。
《前出のお尋ねについて》
5月27日の私たちの前座ライブの曲目は・・(自分で言うのは、ちょっと恥ずかしかったのですが・・)
1曲目・・『安里屋ゆんた』
りみちゃんも唄っていますね・・(メジャーな曲です)
りみちゃんのような、軽やかなアレンジではなく、「本調子」という最もオーソドックスな弾き方です。
ただ、少ぉーし工夫をして、2番まではゆっくり(♪=100位)弾き、3番から(リーダーの合図で)早く(♪=180位)弾いて、軽快で楽しい雰囲気になるようにやってみました。
2曲目・・
これは、クラブの先輩方が作詞をされ、プロの三線奏者:湧川明先生に補詞・作曲をしていただいた、私たち「クラブの唄」でした。
この曲は、和風音頭調で、三線演奏はなかなか難しいテクニックを必要とします。(なんと、半音まであるのです)
この曲で、私は所々ミスをしました。
でも、メンバーのみんながカバーしてくれました。(嬉しかったです)
しっかり練習して、今後はみんなのカバーになれるようになりたいと想っています。
楽器、シュチュエーションは違いましたが、久しぶりのステージ・・楽しく、嬉しい物になりました。
[3512] 「リアル」も「バーチャル」もすべて受け入れたい 投稿者:ジプシー 投稿日:2007/05/29(Tue) 21:47
- Rei Kosugiさま
議員さんは日系の方ですか、あるいはそれ以外の方ですか?
はるか遠い、広大なるアメリカの地で、小さな小さな国「日本」の事を知っていらっしゃる「アメリカ」の方がいらっしゃる・・
しかも、歴史や経済の事ではなく、一人の歌手『夏川りみ』と言う存在を・・・
貴方のUPされる「ジャーナル」に、私は毎回感動し、自然と熱きものがほほを伝わってゆきます。
文章の中の、ほんのちょっとしたこと・・
たとえば「この人たちには見えてるんだ。」と言うセリフ・・
何度読んでも、溢れてきます。(もう、分かっていても・・ 驚きではなく、深くその心が分かるほどに、ますます・・)
この度の「ジャーナル」・・
ハイフェッツさまも良く使われる手法(独断:『紙芝居のわざ』)で、次回作を楽しみにさせ、また、より強く気持ちをのめり込ませる技法を取り入れていらっしゃる・・
私にとっては、作品も楽しみであり、また、それらの事も大変良い勉強になっております。
この、シリーズ『7』・・[居酒屋の風景・・] くっきりと思い描く事が出来ました。
良い物をありがとうございます。
この後も楽しみにしております。
[3511] 書きたいことが多すぎます。 投稿者:迷い人 投稿日:2007/05/29(Tue) 09:32
- 皆様がこの掲示板にどんなことを書かれるのか、それを見るのがとても楽しみです。そして、その内容に思いをめぐらせること、それについて何かを書いてみること、これが日課のようになって来ました。日中にまでそれが尾を引くことは、私にとっては好ましくないので(勤務怠慢になるため)、今はそれがちょっとした悩みです。しかもとても長くなってしまいました(いつも誤字が多くて、すみません)。
ハイフェッツ様
「夏川りみとは、本人を含めて夏川さんを支えるスタッフ皆の集合体である」というお考えには、少しショックを受けるとともに、「なるほどそうだ」と思いました。りみちゃん自身の圧倒的存在感が中心であることはもちろんですが、それだけでは「夏川りみ」は存在しないのでしょう。多くの人間の支えがあって成り立っている。もっと広げて考えると、ファンというのも、その一部かもしれませんね。私のきわめて微力な「応援する心」も、何らかの意味で、「夏川りみ」の存在を支えているというように考えられますね。なんだか、般若心経の考えにつながっていきそうです(こんなことを言うと不気味に思われそうですが、私は新興宗教とは関係ありませんのでご心配なく)。
はる様
りみちゃんのMF21での「はな」「なだそうそう」は今まで以上によかったとお聞きし、私はとても喜んでいます。音楽素人の私にはあまりよくわからなかったというのが正直なところです。そのことを敢えて、この掲示板で、公言してみたかったというのが本音です。りみちゃんの大ファンであっても、私のように感じた(十分にそのよさを感じることができなかった)人がいるかもしれない。もうひとつは、自分ではわからなかったことをはっきりさせるというのは、ある種の喜びなんですね。もっと違う聴き方があるという発見というから。これからも、色々と教えてくださいね。
はる様と私はほぼ同時にりみちゃんからのコメントを発見したかもしれません。MF21が終わって、まもなく、この掲示板を見たのですから。自分のコメントの内容を考えているときに、はる様からのコメントが入りました。りみちゃんからのコメントを見たときは、とても、うれしかったですね。純粋に喜ぶことができた瞬間でした。
ジプシー様
とうとうやりましたね。60人もお客さんがいたのですか。今度は演奏場所を教えてください。素知らぬふりをして、聞きにいくかもしれません。沖縄民謡をやっている場所というのも知りたいです。
ハイフェッツ様の赤ちゃんに対する歌もそうなのですが、人前で何かを表現してみせる、自分の一部をさらけ出す、というのは、勇気のいることですが、自己の精神に対する刺激という意味で、「いいなあ」と思います。私はすぐに恥ずかしいと思ってしまうので、恥ずかしい部分を人にみせることができたらいいな、と思っていますが(変態ではありません)、なかなかできません。
こんな話はジプシー様には失礼でした。恥ずかしいものを見せているのではありませんでした。前座として出演するというのは、セミプロレベルまで行っているのでしょうから。
感動にも色々な種類があるというお話はとてもよくわかりました。ハイフェッツ様も言われているように、「感動」に対する整理ができます。私はどちらかというと、一瞬の感動する気持ちを楽しんでいるタイプかもしれません、りみちゃんを発見したのも、お昼のテレビでの、ほんの数十秒のことでしたから。
感動に色々なタイプがあるのと同時に、人それぞれ、感動の仕方が違うということもありますよね。これも、本当に面白い現象だと思うのですが、同じものをみても、人によって見えてくるものはさまざまであるということです。人間というのは本当に複雑なものなんですね。この現象は、仕事の場では困ることも多いのですが、人と人との関係という意味ではとても面白いものだと思っています。
これは、少し書くのを迷ったのですが、「書いちゃえ!」と言う気持ちでで書きます。ジプシー様はりみちゃんからのコメントに対し本当に喜んだ反応をしていただきましたね。私はこれがとてもうれしかったのです。私が感動したジプシー様のやさしさはこれだ、ということなのです。前にも申し上げましたが、「無条件のやさしさ」です。私のようなものは、「ホントかな?」と少し疑ってしまいます。そして、自己防衛的なコメントを出してしまう。ある意味では、「私のような反応がふつうかな」、とも思うのですが、ジプシー様はそういう意味では普通ではないと思うのです。もしかしたら自分が傷つくかも知れないなどというところを微塵もみせていません。私はそれを「無条件のやさしさ」といっているのです。
「変なやつ」といわれそうですが、正直な私の気持ちです。

