「フルサト」by ハイフェッツ
第95章 海中都市リミュランテスを救え!⑱
(2008年12月14日)
18.逮捕
和気藹々とした、本当に幸せな朝食でした。海葡萄のサラダにモズクの天婦羅、ナーベラーチャンプルーなど、リエが腕によりをかけたご馳走は勿論でしたが、4人は本当の家族のように楽しく笑いながら、近況報告なんかをしたものでした。食事も一段落し、お茶を楽しむ頃には、話はやはり、25年前のことになりました。
「25年前の事件では、母が一番辛い思いをしたと思います」と佐々木は言いました。
「石垣島警察の石嶺刑事、今は署長ですが、彼は熱心に調べてくれましたよ。でも結局、手がかりは無く、迷宮入りとなってしまいました。しかし、ずっと後になって、石嶺さんは、上層部からの圧力によってある日突然、捜査は打ち切りになったのだ、と教えてくれたのです。そしてその直前まで重要な人物としてマークしていたのが、保守党の最大派閥の領袖で、院政を強いていた中村元総理の側近の町田代議士でした」
「では、中村元総理からの圧力ですか?」と藤田は聞きました。
「いや、それはわかりません。しかしおおよその推測は出来ました。父はリミュランティスの謎を追いかけている間に、中国の研究者である鄧貴志教授と知り合い、海底遺跡の研究に協力したようです。これは日中両国の共同プロジェクトであり、ホスト役は当時の文部大臣であった町田氏でした。歴史研究のための共同プロジェクトといいながら、実は海底資源の調査であったことが、今ではわかります。その怪しげな動きの中にあって、父は正義を貫こうとしたのでしょう。『権力者達の誤った考えをただすため』と著述していますからね」
ここで言葉を切り、深く息を吸い込んだ後、佐々木は続けました。
「父の事件は時効です。しかし、それは犯人に罪を問えないということだけであって、警察は真相を究明し世間にそれを公表し、以降の犯罪抑止に役立てる義務があるはずですね。究明すべきなのです。私は、会社の業務で環境問題に取り組みながら、常に町田議員の動きに注意していました。たまたま私の同級生であった杉谷弁護士を巻き込んで、なにやら石垣島の環境を守る会を立ち上げてきた。町田氏にとっては、石垣島は他の人間には触れてほしくない秘密を持った、大事な島なんだなと思いました。・・・・・結論から言います。私の父を亡き者にしたのは、町田氏本人です!」
「・・・・・!」
「驚かれましたか? そうでしょう。でも間違いない。今回の鄧貴志教授の事件も、私はとても驚きましたが、実行犯はもうすぐ逮捕されますね。そうなれば芋づる式に、町田の犯罪が明るみにですことになります。そのためには、わたしがマスコミに話してもいいと思っているくらいです。いずれにしても、藤田さんや青木君のお蔭で、仇が討てたということです、もう一度礼を言います」
佐々木は、母親のリエとともに頭をたれました。
佐々木は青木佐和子のほうを向いて言いました。
「私は、もう一般社会には戻らないよ。母が年老いているし、父の残したリミュランティスの『後始末』をしないといけない。会社での仕事も未練が無いわけではないが、君はもう一人前だ。だから、後を頼みたい」
「身勝手すぎます・・・常務・・・」
佐和子は悲しさを隠しません。
「仕方ないよ。それよりも、折角ここまできたんだ。二人にはいい物を見せてあげるよ」
佐々木はそういい、二人を、入ってきた玄関とは反対側のドアに案内しました。ドアの向こうはきれいに整えられた廊下になっていました。なるほど、この「家」を通らないと、リミュランティスへ続く廊下には出られない仕組みになっているようです。リエが靴をそろえてくれました。
「10分ほど歩くよ」
しばらく歩いた廊下の先は船着場、というより、地下鉄のホームのようになっていました。そしてそこに待っていたものは、グリーンシルバーメタリック調の流線型のリニアモーターカーのような乗り物でした。
「・・・・これが、リミュータ号!」
佐和子と藤田は同時に叫んでいました。
「さあ、乗って!」と佐々木は二人を乗せて、自身は運転席に座りました。少し遅れて、リエが乗り込みました。
「では出発!」
リミュータ号は得意げに一気に加速しました!
5分ほど走って、静かにとまりました。そこは、『本』のとおり、パルテノン神殿に似た『海中都市リミュランティス』の遺跡でした。想像していたよりはるかに広い。佐々木の説明では、東京ドーム30個分の面積があるといいます。佐々木について先へ進んでいくと、正倉院のような建物が見えます。これも本の通り。3人は中へ入り、そして佐々木はその中で、3つの木箱に入った『三種の神器』を見せてくれました。佐和子は、この宝の輝きを、一生涯忘れることは出来ないでしょう。それは藤田も同じでした!
琥珀に閉じ込められたモルフォチョウ。そのモルフォチョウは今われわれが知っているものよりも一回り大きい20cmほど。琥珀に閉じ込められているのに、その神秘的なブルーははっきりと光を放っています。そしてなにより、ハイビスカスの花も一緒に閉じ込められているのです。もっともこちらのほうは色があせてしまい、原形をとどめていませんでしたが。
赤珊瑚の巨大標本ですが、一部が紫色のガラス質に変化しています。そのバランスが絶妙で、自然の作り出した芸術といえるでしょう。よく見ると、この紫色はアメジストでした。世の中にこれほど不思議で美しいものがあるのか、と藤田は思いました。
そして、3つ目は、不思議な青い光を放つ鉱石。これが一番不思議でした。暗がりにおいても光り続けるのです。何所で見つけてきたものなのでしょう。これと同じものは、見た事も聴いたこともありません。神通力を信じた過去の権力者たちの気持ちも、佐和子にはわかる気がします。
「父は考えたようです。この宝は、だれも私有化することは出来ない、人類共通の財産とすべきものだ、さらにリミュランティスは超古代文明なのだ、と書いていますね。事実、この『三種の神器』や海中都市建造物、そしてリミュータ号。誰がいつ作ったものなのか、全くわからないのですから。でも、本当に大事な宝はこんなものじゃないね」
佐和子は夏川りみが歌っていた「島人ぬ宝」を思い出しました。
最後に、佐々木はこう締めくくりました。
「もし、この都市が何万年も前に存在したものなら、もはや石垣島の自然環境からは切っても切れないものに同化してしまっているのです。私は残りの人生で、ここを保護し続けたい」
再び、4人を乗せた『リミュータ号』は、今度は宇宙船のようなスピードで海中を疾走し、東京湾へと向かいました・・・・・
◇ ◇ ◇ ◇
町田健史と手下の合計3名は、石垣空港で呆気なく逮捕されました。当初は鄧貴志教授殺害容疑を否認していましたが、やがて観念し、全面的に自供を始めました。鄧貴志教授殺害についで、鄧美君殺害について正式に逮捕されました。警視庁と沖縄県警の合同捜査本部の調べが進められました。供述の中で、町田健史の父親である、町田元官房長官の関与も明らかになりました。
そして浜村警部は石嶺警視とともに、町田元官房長官の議員宿舎を訪ね、事情聴取を行ないました。
「25年前の事件は時効です。しかし、これは国益にかかわる重要な案件です。すべて正直に話していただきます」
町田代議士は、観念したのか以外にもあっさりと罪を認め、供述しはじめました。総理総裁の手前までいった政治家として、潔さを決め込んだのでしょうか。それとも政治生命の最期を迎えるにあたり、日本の将来を憂い全てを話すという浄化の道を選択したのでしょうか?
安保闘争。沖縄返還。日中平和条約。激動の時代のさなか、沖縄石垣島で一つの「出来事」がありました。中国の歴史学者・鄧貴志教授が古代都市研究のため石垣島を訪れたのです。鄧貴志教授は当時の中国人にしては珍しく親日派で、日本の保守党の最大派閥の領袖でキングメーカーの中村元総理とは親友同士でした。そして中村元総理は中国と仲良くすべきだという外交哲学を持った政治家でした。
1974年、その中村元総理の招きで石垣島に来た鄧貴志教授は、歴史研究家という顔とは別に、海底資源の開発に従事する中国政府お抱えの学者でもあったのです。中国政府と日本のエネルギー紛争は、東シナ海に留まらず、何十年も前から秘密裏に存在したことになります。つまり、中村元総理と中国政府の間は、表向きは平和友好をかかげながら、どちらがエネルギー問題で主導権を握るかを綱引きしてきたのです。石垣島の海底ガス田もその一つでした。
中国側は、郷土史研究家の佐々木賢一氏の提唱する「海中都市リミュランティス」を巧みに利用し、石垣近海の調査を強行してしまいました。実はこれを仕切ったのが、当時の文部大臣であった町田でした。中村元総理と中国の間に入るフリをして、私服を肥やしていたのです。鄧貴志教授と町田はグルでした。そのことに気づいた佐々木賢一は、「このままではリミュランティスがガス田開発のためにつぶされてしまう!」との危機感から、告発を試みました。それが『海中都市リミュランティスの謎』でした。そして関係者50名に配布を始めました。その中には、町田議員のボスである中村元総理も含まれていました。
町田はこのため、佐々木賢一を抹殺するしかありませんでした。これが第1の事件です。この事件後に町田は配布された『海中都市リミュランティスの謎』をすべて回収し焼却しました。しかし、佐々木賢一は、関係者50名のリストには載せていない親友の藤田玲太郎と息子の佐々木優一にも、ひそかに著作を送っており、これが火種として残ったことになります。
第2の事件は、佐々木優一常務の失踪に始まります。製薬会社で石垣島の調査を始めた佐々木常務はあることに気付きました。中国側が石垣島近海で海中プラントを建設しようとしている、そのためにサンゴ礁の環境が大きく破壊され始めていることでした。佐々木常務はこのことを石垣島環境保全研究会の幹部であった杉谷弁護士を通じて町田議員に質しました。町田は震えあがりました。さらに佐々木常務との直接会談で、25年前の第1の事件のことを持ち出されました。これが明るみに出ると町田の政治生命は終焉です。そこで息子で秘書の町田健史に事態の収拾を命じました。ところが、危険を察知した佐々木常務が自ら姿を消したため、町田健史は焦って、犯罪を重ねます。青木佐和子宅への侵入や脅迫、さらにエスカレートして、結局は仲間であった鄧美君を殺害するというヘマを犯してしまいました。これが第2の事件です。
第3の事件も、町田健史の暴走によるものでした。佐々木常務の手がかりをつかもうと、町田健史は石垣島へ行きました。石垣に滞在していた鄧貴志教授をたずね、事態の収拾のため協議し佐々木常務を追い詰めるはずでした。しかしここで仲間割れが生じました。第2の事件の被害者であった鄧美君は実は鄧貴志教授の娘であり、このときに町田健史の手にかかったことを知り怒り出しましたが、町田は手下を連れており、返り討ちにあった。これが第3の事件の経緯です。
◇ ◇ ◇ ◇
町田は議員辞職し、中国による海底乱開発も頓挫する形で事件解明は一つの形を見ました。しかし、海中都市リミュランティスについては、一切表に出ることはありませんでした。入口につながる小さな社もいつの間にか姿を消していました。秘密は永遠のものとなりました。