「フルサト」by ハイフェッツ
第83章 海中都市リミュランテスを救え!⑥
(2008年5月1日)
6.石垣島の赤土問題
ホテルグランド新大阪の最上階の客室、護衛のために佐和子と同じフロアに藤田は部屋を取りました。チェックイン後に藤田の客室で、佐和子は一連の事件とのかかわりについて、その契機となった出来事から順序だてて藤田に打ち明けました。その内容に藤田は驚きを隠せませんでした。
「私は大学での研究や企業でのプロジェクトを通し、私は一貫して化学物質による自然環境への影響について取り組んできました」と佐和子は真剣な表情で語り始めました。「特に海洋環境に与える影響についての研究が、現在の任務です。会社は化学薬品を製造販売することで利益を得ていますが、同時に社会に対する責任として、環境問題を直視し、具体的で実行可能な対策を見出していくことを忘れてはなりません」
* * * * *
数年前・・・・
佐和子は、吉川工業製薬基礎研究室へ配属されたその初日、早速に研究室長である佐々木常務に呼び出されました。佐和子は緊張して、研究所長室のドアをノックしました。「青木です」と震えを抑えて声を出しました。「入りたまえ」というバリトンが返ってきました。
「青木君、君の任務は分っているね」
と佐々木は切り出し、そして佐和子の答えを待たずに言葉を続けました。
「この研究をやってもらいたい」
と言って、『沖縄・石垣島の珊瑚礁の破壊に関する資料』とタイトルがつけられた厚めのA4サイズのリングファイルと分厚い茶封筒を渡されました。佐和子は黙ってそれを受け取りました。
「君の配属されたこの部署は、日陰の部署であることを肝に銘じておいてほしい」
と佐々木は厳しい口調で佐和子に告げました。
「ビジネスに直結しないからですか?」
と佐和子は尋ねました。
「いいや、そういう部署ならいくらでもある。君の任務は、基礎研究を通して、将来の日本のあるべき姿を提示するための切り口を探索することなんだ」
と佐々木はニコリともせずに答えました。
確かに化学物質に寄らなくては現代は生きていけない。しかし依存しすぎるあまりに弊害が表出していることは確かです。いや、それどころか地球規模での行き詰まりの時代がもう既に始まっていることは自明の理なのです。しかしながら企業での研究は勿論、役所の旗振りで行なわれる環境問題対策プロジェクトにおいても、ビジネスへの貢献度などから充分なコストをかけての研究が進まないのが現実です。しかもエネルギー産業からのけん制が強く、実際の活動は有名無実化しているという、弱さを抱えているのです。
「承知しております」
と佐和子はうなずきました。佐々木は続けます。
「君にはわが社の環境問題のシンボルになってもらいたい。わが社内であってもこの種の研究に後ろ指をさすものがいるのは、情けないことだ。だがこの研究は必要なのだ。テーマは君に預ける、好きにやっていい。ただし部下も共同研究者も一人もつけない。すべてを君一人でやるんだ」
「がんばります」
佐和子は心の中に熱いものを感じました。
「研究に必要な資料・情報・関係部署との調整などは全て私のほうでバックアップする。費用も私が決済する。君は研究に打ち込めばよい。研究成果の重要性が社内の人間、いや、国民に認知されるかどうかは、君の今後の働きにかかっている」
佐々木はそういい、「この研究室の設置は吉川社長の強い要請によるものでね・・・。君を推薦したのも吉川社長だよ」はじめて笑顔を見せました。吉川社長とは就職試験の最終面接で面談しただけでしたが、佐和子の大学での研究内容に対してかなり熱心に質問され、予定時間を大幅に超えて2時間ほど話し込んだことを、佐和子は思い出していました。
翌日から、佐和子の猛烈な研究生活が始まりました。佐々木から渡された資料をもとに、情報収集・実験を繰り返しました。当初は工業用洗剤が排出されることによる自然環境への影響を地道に調べていくことに注力しました。調べていくごとに、想像以上に環境汚染が進んでいることに愕然としました。成果は製品開発部門へ報告しますが、たいていは「ああ、そうですか」という程度の反応で、重要性を認識しません、というより目をつぶっているのです。この間の研究で博士号を取得しました。
一般的な調査ではなく、沖縄や石垣島の珊瑚礁のような美しい自然のシンボルへの影響を調べていくことで各方面へのアピールができると考え、実地調査も含めて研究を始めました。沖縄や石垣島へ出張し、豊かな自然ときれいな空気に感動しました。この頃になると様々な環境学者や活動家との交流も広がり、佐々木研究所長のバックアップもあり、「吉川工業製薬に青木博士あり」ということが専門の研究者の間で認知されるようになりました。多忙を極める研究活動により、当初は手探り状態であった仕事も徐々にその方向性を確かなものにしていきました。
ここで石垣島の珊瑚礁に関する問題を整理しておきます。
白保サンゴ礁は、沖縄県石垣島東部にある石垣市白保地区の海岸に沿って、南北約一〇キロメートル、最大幅約一キロメートルにわたって広がる裾礁です。このサンゴ礁には、世界有数の規模を誇り北半球最大とも言われるアオサンゴの大群落をはじめ、ハマサンゴの巨大な群落やマイクロアトール、ユビエダハマサンゴの群落が多数分布しており、30属70種以上の造礁サンゴが生息するとされています。
沖縄の多くのサンゴ礁がオニヒトデによる食害や赤土流出によって消失しつつあるなかで、白保サンゴ礁は、オニヒトデによる食害を免れ、良好な生態系を残した数少ないサンゴ礁であるとされる。2007年8月1日、西表国立公園に石垣島の一部が編入されて西表石垣国立公園となり、白保地区は海中公園地区に指定されました。
人類の活動による影響で重要なのは新空港でしょう。1979年に計画が発表された新石垣空港は、当初、白保地区の沖合に海上空港として建設される予定でしたが、白保サンゴ礁の重要性が認識されるようになると反対運動が活発になり、1989年にこの案は撤回されました。その後、二転三転の末に、白保地区北部のカラ岳付近に空港を建設する案で最終的に決着し、新空港は2006年10月に着工し、2012年度末の開港が予定されています。この案は埋め立てを伴わないもので、沖縄県は赤土流出を防ぐために遊水池建設などの措置を講じるとしていますが、カラ岳を切削する際の赤土流出等による白保サンゴ礁への影響への懸念も依然として強いのです。
この「赤土流出」について、佐和子は調査研究を続けていました。石垣島にキャンプを張っての数ヶ月にわたる調査でした。このときばかりはさすがに一人では無理なので、佐々木常務の計らいで助手を二人つけてくれたのでした。まだ学校を卒業したばかりの若い女性社員、比嘉晴子と金城恵子の二名でした。ともに優秀でしたから、佐和子はとても助かりました。年齢も比較的近く、遠慮なくディスカッションできる『チーム佐和子』として仕事がずいぶんとはかどりました。
サンゴ礁の環境に多大な悪影響をおよぼす、赤土問題。海底の砂を一定量採取し、その中に含まれる微粒子による水の濁り具合を測定することで、海底に沈殿している赤土の量を推定する方法がよくとられます。得られた数値は、濁りの成分となる微粒子がほとんど含まれていないランク1から、見た目は泥そのものと言えるランク8までの、8つの階級に分けられます。一般にサンゴが健康に生育できるのはランク4~5以下と言われており、ランク6以上は人為的な赤土の流出の影響とされています。
近年はにごった赤土は減ってきていました。珊瑚礁の重要性への理解の高まりともいえるでしょう。しかし、佐和子たちの調査によれば、再びランク8の数値を示す頻度が高まっているのです。
何度も慎重に測定を繰り返しますが、やはり近年にない濁りようは確かな事実と見るべきものでした。考えられる原因は何かと議論しました。数値は季節により変動します。サトウキビの刈入れによる裸地の増加、風の影響により赤土が広がらずに珊瑚近くに堆積することなど。しかし最も大きな要因はやはり降水量だろうということに落ち着きます。対策が実りつつあるという解釈もできますが、大量の降雨によってはあっという間に大量の赤土が堆積してしまうのです。根本的な対策が必要であることには変わりありません。
環境汚染度合いの把握と同時に、佐和子は赤土の質についても調べていました。そして、降雨による大量堆積だけでは説明のできない『質の変化』を発見したのです。
詳細に泥成分、つまり赤土による濁り成分を分析したところ、特殊な化学薬品成分がかなりの濃度で含まれていることが分ったのです。そして、その化学薬品成分とは、日本国内で製造販売していないある種の界面活性剤の混合物であることを突き止めました。そしてそれが自然環境に悪影響を及ぼすであろう化学構造を有していることが予想できるものでした。何故、国内で使われていないものが、石垣島の赤土の中に含まれているのか?という不思議はあります。佐和子は『チーム佐和子』のメンバーと共に、石垣島内陸部の赤土を採取し分析をかけましたが、そのような物質は発見できませんでした。
佐々木は報告を受けて、驚きました。企業としての社会的責任の一環として環境研究室の活動を管掌してきましたが、とんでもないものを発見してしまったという想いがありました。環境問題への取り組みに先見の明をもって臨んだ吉川社長の直系の佐々木常務でしたので、環境保護への想いは強いものがあります。すぐに『チーム佐和子』の比嘉晴子に命じて、該当物質を実験室にて合成させ、各種環境・生物への影響を調べさせました。さらに佐和子に加えて金城恵子に、石垣周辺広範域およびその他の地域での赤土分析を継続させました。そして自らは、広い視野での情報収集にあたり、真相を究明すべく奔走しました。
様々な実験事実が判明しはじめ、その原因となる事柄についての確証も概ねまとまりかけたことから、学会発表の準備に取り掛かることとなりました。発表すればかなり影響が出るであろうという内容に、佐和子はじめ『チーム佐和子』のメンバーは勿論、佐々木研究所長も武者震いといった雰囲気でした。
そしていよいよ学会発表を一週間後に控えた日、佐々木研究所長が行方不明となりました。