りみ島歴史散歩


マングローブの森


北部の某酒造所へ新酒開発の依頼に出かけた帰り、植物園の奥深く入り江に近いマングローブの森を抜けると少し盛り上がった丘状のものがあり、あたり一面に、のばたんぬ花が咲き乱れています。
この不自然な様子に近くに何かないかと探すと半ば埋もれるように石碑らしきものがありました。

これはと見るとかすかに文字らしきものがあります。

『甘○○代王○クチャ加那○○○墓』
(注:○は判別不能な文字)

げげっ!悲劇の美女として名高い甘味大島のクチャ姫の墓?
どうしてここに?謎です。
とりあえず、手を合わせて早々に立ち去りました。

あの丘を発掘すれば、何か解るのでしょうが、どうしたものか。

郷土史家 くろぴぃ 2003/02/20(Thu)

●クチャ加那について
 甘味大島の甘味王朝の王女ヤマトミの娘とある。ヤマトミは甘味王朝が首里王朝によって滅亡した際に、捕らえられ、首里軍の大将に現地妻になるように脅迫されるが、拒否したため、甘味大島より追放された。
 ヤマトミは奇怪ヶ島に流れ着き、美人であった為、男達に大歓迎され、一女をもうけ、クチャと名付けた。
 やがてクチャは母をもしのぐ美女に成長。島の娘達の嫉みを買い、崖より突き落とされる。それを聞いたヤマトミは絶望のあまり自害。
 しかし、クチャは近くを通ったりみ島の漁師に奇跡的に救助され、りみ島で暮らすこととなった。
 これを伝え聞いた美里国王は国賓待遇を申し出るが、クチャは断り、村人に独特な機織り技法を伝授して、尊敬された。享年45歳と伝わる。
 葬式は美里国王主催で盛大に行われ、甘味王妃の位を送ったということである。
 ちなみに加那というのは甘味語で愛しいと言う意味で、人に対する尊敬を表す語である。様、殿などのような使われ方をすると思ってよいだろう。
郷土史家 くろぴぃ 2003/02/25(Tue)


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