「フルサト」by ハイフェッツ


第84章 海中都市リミュランテスを救え!⑦


(2008年5月10日)

7.天然ガス田開発に潜む悪意

「行方不明とは、どんな状況だったのですか?」と藤田は思わず訊ねました。
佐和子はため息混じりに答えます。
「本当に分らないのです。その日に夜9時過ぎまで研究室でメンバーそろってミーティングをしていて、ではあと一週間がんばろう、ということになって、軽くのみに行こう、前祝だ、となったのです。会社近くの居酒屋さんで本当に軽くでしたけれど。二十二時過ぎには解散しましたよ。その後、佐々木常務はいつものように駅まで歩いて、お家に向かういつもの列車に乗ったところを、メンバー皆が見ています。でも、家には帰り着かなかったのです。もちろん自分の意志で失踪する様子は全くありませんでした」

「すると、何者かが佐々木常務を拉致したということですか?」藤田は尋ねました。
「警察ではそのように見ています。電車には乗ったのですから、自宅周辺でのトラブルなのでしょうか?ただし借金などの動機らしきものは常務の周辺からは見つけることができず、行きずり的な何か犯罪に巻き込まれたのではないかと、事件から1年たった今でも捜査は続けてくれています」
「佐和子さんは、佐々木常務の失踪が、プロジェクトの研究内容、特に学会発表に関係すると考えているのですね」と藤田は切り込みました。

「ええ、きっとそうです。と言いますのも、常務の失踪があっても、学会発表は中止できませんので、予定通りに行なったのです。場所はお台場の国際会議場です。約300人の前で研究成果を発表しました。聴衆の中には業界関係者のほか、大学関係者、環境活動家や数人の政治家もいました。そして・・・」
「そして・・・?」
「そして・・・発表後の質疑応答で積極的な議論になりましたし、その点、発表としては大成功だったと思います。しかし発表終了した翌日から、色々な方面から有形無形の圧力がかかりはじめたのです」
「ほう・・・」
「それだけではありません。通勤時に尾行されたり、研究内容を尋ねる不審な電話が会社に掛かってきたりといったことが、頻繁に起こるようになりました。それまでは常務が色々と手を打ってくれたのですが・・・」
「そんな身の危険を覚悟しなければならないほどの発表内容だったのですか?」
「研究開始当時は解かりませんでした。発表内容についてもインパクトがある内容であったことは事実ですが、その影響がどこまで及ぶのかについては正直想定できなかったのです。しかし研究を続けていくうちにおぼろげながら、背景の大きさが見えてきたのです」
「具体的にお願いできますか?」

「その前に、まず問題の有毒な界面活性剤混合物ですが、これはドイツの化学品メーカーが製造販売しているセメント混和剤であることがわかりました。この混和剤は直接的にも間接的にも日本国内には輸入されていないものです。通常建造物などに使われるコンクリートは、セメントと砂利と水を混合して固めたもののことですが、その際に良く混ざりやすくするためにセメント混和剤という薬剤を配合するのです。ではなぜその薬剤が石垣島近海に堆積していたのか?ということがポイントになります」と、佐和子は一旦言葉を切り、一息入れてつづけました。

「ドイツの化学品メーカーが製造販売しているそのセメント混和剤は、実は中国に輸出されていました。中国で建造される海中プラントなどに使われていることがわかってきたのです。中国との東シナ海における天然ガス田の開発主導権争いについてはご存じですか?」
「もちろん知っています。新聞やなんかの記事でね。漁業水域の問題もありますが、かなりの埋蔵量が予想されている天然資源の権利がどこに行くかで、アジアの、いや世界の経済地図が書き換わるかもしれないとされていますね・・・・しかし石垣島には直接関係ない地域ですね」と藤田は答えました。

「もちろん、現在の公表されている調査結果ではそうなっていますが本当はどうなのでしょうか?私が石垣島にキャンプを張って環境調査をしているときにも、中国船と思われる船が国境に関係なく入り込んでいるのを見ました。秘密裏に調査されているのではないですか?私は、中国側の調査が石垣島周辺にも及んでいて、いくつかの地点で何らかの海中プラント建設を勝手に始めているのではないかと疑っています。石垣島近海で採取した赤土に含まれていたセメント混和剤は例のガス田で使われていたものと同じものだったのです!」
「・・・・!」

 藤田は声が出ませんでした。佐和子の言うことのスケールが大きすぎたからです。もしこのことが事実なら、海上保安庁や海上自衛隊は何をしているのか。政府は厳格に中国政府に抗議すべき事柄です。
「日本政府は中国の武力を恐れているのです。これは佐々木常務がいろいろと働きかけてくださってわかったことですが、国会議員たちの中でもいろいろな考えの方がいらっしゃり、中には対中戦争の準備を始めようなどとおっしゃる方もいます。もちろんそんなことができるはずもありませんから、最終的には事務レベル折衝の末に中国の主導で進んでいくことになるでしょう。でも、その間に石垣島の自然が犠牲になることに佐々木常務は我慢できずに、学会発表の場で事実を公表しようと決意されたのだとおもいます」
「その結果、行方不明ですか・・・」

「発表内容は当日になるまではわかりません。ただし会員参加者には『予稿集』という発表内容の要旨をまとめた冊子が配られます。そこにセメント混和剤のことを記載しています。石垣島の珊瑚礁保護の調査を実施したところ、その過程で堆積赤土の中から危険なセメント混和剤が見つかった、という内容です。予稿集を手にした誰かが内容見て佐々木常務の拉致を企てて実行したのだと思います」
「明日の学会発表は今お話しいただいた内容に関係するものですか?」藤田は訊きました。
「いいえ、今回は家庭用洗剤の変遷についてのアウトライン的なもので、内容も特に新しいことではないです」

 藤田はしばらく考え込みました。そして藤田はきっぱりと判断を下すように言いました。「ではこうしましょう。明日の学会発表を終えたら、また帰りの新幹線でお話を聞かせてください。グリーンの個室を取っておきます。それまでの間に私のほうでいろいろと調べなくてはいけないことがあります。学会もできたら聴きに行きますから。今日はもう遅いからゆっくりおやすみなさい。東京からここまで何もなかったのです。大丈夫とは思いますが、念のためドアの施錠をきちんとしてね。ホテルマンであってもドアを決して開けないように。ではおやすみ・・・」

 藤田は佐和子の部屋の窓の明かりが消えて寝静まったことを確認した後、ホテルをこっそりと出て、用意しておいたレンタカーで奈良県にある夏川大学へ向かいました。夏川大学は藤田の母校で、実は京都大学に肩を並べるほどの研究資料・文献がそろっています。古いものから最新のものまで。今夜はそこで夜を徹して調べ物をしようと思ったのです。

 藤田は大きなため息をつきました。調査対象が大きいからではありません。敵が大きく強いほど燃えるタイプですから。佐和子の話が本当ならば、この世の中には良心はないのでしょうか。エネルギー問題は各国にとって最重要課題です。それに尽力する政治家もたくさんいます。一方で複雑に絡み合う膨大な利権をめぐって、その政治家たちの周辺で甘い汁を吸う者たちがいる。それはいい。問題はそういったことが国民に全く知らされずに秘密裏に行われること。そしてそのために自然環境のみならず人命をも軽く扱われること。

 藤田は昨晩の伊藤つかさ似の女を思い出していました。彼女の人生もいぬっころのように翻弄されたのでしょう。やり切れない思い、これが重苦しさとなって藤田の心を締め付けています。

 カーラジオをつけました。気だるそうな声が特徴の女性ディスクジョッキーが歌謡番組を進行しています。藤田の心をまるで見透かしたかのようにその妙に色気のあるDJが語ります。

「本当に~カネカネカネの世の中ですね。そんなことじゃあいけません。何か大切なことをどこかに置き忘れてきた最近の日本。いや日本だけじゃないね。一人ひとりの心の中にも、カネカネカネがはびこってきたように思います。自己中。キレやすい。ムカつく。いやな言葉です。こんな時代にこそ必要とされるものがあるんじゃないですか・・」
そういって、曲が流れました。

   黄金で心を捨てないで
    黄金の花はいつか散る

リミュランテスを救え


夏川りみさんと遊ぼう