「フルサト」by ハイフェッツ
第80章 海中都市リミュランテスを救え!③
(2008年3月27日)
3.月の虹
藤田は車の中で考えていました。青木佐和子と伊藤つかさ似の女の一味は敵対関係にある、これは間違いなさそうに思う。そして青木佐和子を暴漢から救ったことで、その一味からは青木佐和子の側の人間だと思われたことも間違いなさそうです。両者は何ゆえに敵対するのか。中国系かコリアン系の組織が絡む犯罪の香りがする。一方『石垣島環境保全研究会』とは一体何なのか。今回の一連の動きとは関係なく、ただ舞台として偶然に選ばれただけなのか。いや、そんなはずはない。私を誘拐したこの男達は青木佐和子がこのパーティに出席するであろうことを知っていて、待ち伏せした。となると研究会の中心メンバーらしい杉谷という哲学的風貌の男は何者なのか?敵か見方か・・・。
一時間以上走ったのではないでしょうか、山道をくねくねと登ったあげくに漸く停車しました。車から出されたとき空気がひんやりとしていました。夜も遅くしかもかなり山奥なのでしょう。目隠しをされたまま藤田は建物の中に連れて行かれ、階段を上り部屋のようなところに入れられ、そしてここで目隠しを解かれました。そこは別荘の一室のようでした。蛍光灯がつけられていたので部屋の様子はよく分かりました。30畳ほどの書斎で壁に据え付けられた書棚にはかなりずっしりした難しそうな、専門書といっていい表題の書籍がぎっしりと詰まっています。そして部屋の中央には大きな木製のデスクがおかれ、部屋全体としては重厚で西洋風の落ち着いたインテリアで統一されていました。リーダー格の男はそのデスクの傍に立ち腕を組んでいます。一目でそれとわかる上等なスーツに身を包んでいますが、鋭い目光と鋭角に突き出した顎のラインからその筋の人物とわかります。中国人らしき2人は藤田の左右から拳銃で狙っています。
「何の目的でうろちょろするのか知らないが、関わらないほうが身のためだ」とリーダーが冷たく言い放ちます。そして中国人らしき2人を残して部屋から出て行きました。中国人らしき二人は何やら小声で言葉を交わしたあと、一人が藤田に指図しました。「椅子に座れ!」。そして藤田が座ったことを確認した後、拳銃を藤田に向けながらドアから出ました。ガチャリと鍵のかかる音がしました。もう一人残った男はドアをふさぐような位置に椅子を持ってきてそこに座りました。どうやら藤田の脱出を防ぐつもりらしい。恐らくドアの外にはさっき出て行った男が見張っているのでしょう。藤田は脱出を諦めたかのように装いながらチャンスをうかがいました。
部屋には窓も時計もありません。あるのは山のような本ばかり。藤田は立ち上がり本棚のところに歩いていきました。見張りの男はじっと様子を見守っています。藤田は本棚に「日本古典文学大系~枕草子」と「古典語大辞典」を見つけ、それを取り出しデスクに運び、読み始めました。不意に手にいれることの出来た時間を有意義に過ごし、何か調べ物をしているかのように見せかけるために!勿論、枕草子には興味はないのです。見張りの男は、最初は興味深い様子で藤田の行動を追いかけていましたが、藤田が調べものに熱中している様子を見て、暫くすると首をたれ、いびきをかきはじめました。40分ほどその状態が続きました。
「よし、もう熟睡だろう」
藤田はゆっくり音を立てないように男の傍を通り、扉へと到達しました。扉の外には見張りの男がいるはずです。藤田はドアをゆっくりと押しました。何と!鍵は開いていました!ゆっくり、ゆっくり、動いていると分からないほどの速度でドアを押し開け、20分かけて漸く藤田は顔を出て廊下の様子を伺うことが出来ました。廊下側の見張りの男も、熟睡していました。
「藤田もなめられたものだな!」
男のポケットから車のキーを失敬して、そして音もなくすばやく階下へ赴き、玄関から外へ出ました。車が止まっています。おそらく藤田を乗せてきた車なのでしょう。飛び乗りキーをあわせるとビンゴ!です。かくして脱出はいとも簡単に成功しました。
車を当てもなく走らせました。山の上の別荘のような豪邸。玄関の表札を確認することを忘れませんでした。杉谷、とかかれた表札でした。『石垣島環境保全研究会』主催の杉谷でしょうか?中国人組織団らしき男達との関係はどうなのでしょう?敵なのか見方なのか。ふと気づいて、カーラジオをかけました。時刻を知りたかったのと、藤田の周辺で起こった一連の不思議な出来事に関係して、何かニュースをやっていないか、を知りたかったのです。が、ラジオは深夜番組の時間。リクエストされた歌が流されています。
「時刻は午前3時を廻りました。さて次の曲参ります」
女性DJが落ちついた声質が心地いい。
「神奈川県にお住まいの青木佐和子さんからのリクエストです。曲は夏川りみさんで『月の虹』。詩とメロディが見事にマッチした隠れた名曲ですね」
藤田は驚いて耳を凝らします。DJは続けます。
「月の虹、お聴きの皆さん、見たことありますか?ないはずです。とてもきれいな自然環境であることに加えて非常に小さい確率でしか観察することが出来ないのだそうですね。では、その本当に貴重な『月の虹』に願いを込めてお聴きください。夏川りみさんで『月の虹』、どうぞ!」
美しい言葉に音楽。しばし聞き惚れました。青木佐和子をサポートしよう。藤田は決心を新たにしたのでした。実際、青木佐和子を救いたい気持ちで一杯でした。あの美貌の持ち主にして大胆な芝居を打つ、魔性の女。そして一方でこのリクエスト。佐和子は犯罪にまみれていない、と藤田は直感することが出来ました。
広い道路に出ました。そしてそれが国道一号線であることを知ったとき、藤田はこれまでの道順をすべて理解しました。別荘の位置も。箱根の中腹にある個人別荘地です!そうだ、別荘。もう藤田の脱出に気がついているはずです。一刻も早く東京に戻らねば!藤田はアクセルを強く踏み、東京へ向けて疾走しました。
川崎から東京に入った頃には空が明るくなりかけていました。藤田はコンビニに車を止めて飲み物を買うことを思いつきました。のどがカラカラです。コーヒーを買って車に戻るとき、藤田は後部座席のドアに何か布が挟まっていることに気がつきました。車を奪ったときはまだ暗く気づかなかったのです。確かめようとしてドアを開けました。「・・・・!!」
布と思ったのはスカートの一部でした。あの伊藤つかさ似の女が目を開けたまま後部座席に転がされ、動かなくなっていたのです!
「ひぃぃぃぃ!!」
コンビニの店員もこれを見て悲鳴をあげました。
「人殺しー!」
2分とあけずにパトカー数台が次々と到着し藤田は有無を言わせずに拘束されました。周辺にロープが張られ現場検証が始まりました。科学捜査班による車の分析。そして検死医による状況確認。コンビに店員への事情徴収。藤田はパトカー内へ確保され、強い口調で尋問されます。取り付く島もないとはこのことでしょう。殺害現場は勿論別の場所であることは明らかであって、時間をおかずして、藤田は警視庁蒲田署に連行されました。