「フルサト」by ハイフェッツ
第86章 海中都市リミュランテスを救え!⑨
(2008年5月18日)
9.20数年前の事件
一週間後、佐和子と藤田は再び待ち合わせをしました。日比谷の大ホテルの向かい側にあるビルの1階のラウンジです。ここは昼間も夜も客が少なく、待ち合わせやちょっとした打ち合わせには大変便利で、佐和子も何度か利用したことがありました。店は広く、店員の応対も気持ちよく、何よりコーヒーが抜群に美味しい。そして座り心地がよくテーブルがとても大きい。全体としてはゴージャス過ぎず程よい贅沢感が得られるのです。
午前11時の待ち合わせでしたが、佐和子はそのラウンジに15分前に到着しました。ガラスのドアから中をうかがうと藤田は既に来ていました。一番奥のコーナーで一人のスーツ姿の男と真剣な表情で話し込んでいます。藤田が話して、相手はうなずいているという様子。その男の表情は背中越しにしかわかりません。藤田とほぼ同じ年代でしょうか、首が太く肩の辺りの筋肉が発達しているのが、きちんと着こなしているスーツの上からもわかりました。
佐和子と藤田の目が合いました。そして藤田がその男と二言三言交わした後でその男は立ち上がり、佐和子のいるドアのほうに向かって歩いてきました。威圧感のある力強い歩き方でした。佐和子は身構えましたが、男はちらりと佐和子をひとにらみしただけで足早に出て行きました。藤田は笑顔で佐和子を迎えました。
「おはようございます、佐和子さん」
「今のは誰ですか?ずいぶんと目つきの鋭い人でしたけれど」
「彼は、警視庁蒲田署捜査一課の浜村警部です。彼が手がける事件は殺人事件に限られています。今回の関連ですでに事件が発生しています。例の伊藤つかさ似の中国人女性、鄧美君の件です。彼はそれを追いかけているんですよ。通称『マムシの浜ヤン』。狙った獲物は必ずしとめる、凄腕警察官ですよ」と藤田は説明しました。
「私と浜村警部はお互いに情報を交換しながらやっていくことにしました。今のところは、私たちのほうが警察よりも多くの情報を持っています。ただし捜査権がありません。そういうものが必要になったとき、浜村警部の助けを借ります」
「警察のバックアップは心強いですわ」と佐和子は言いました。
「そうでしょう・・・実際、警部はもう既に実行グループを断定し内偵に入ったようです。・・・おっと!言い忘れていましたが、マスコミに向けては、鄧美君の事件の容疑者として私が逮捕され現在も拘留中であるとしています。こうすることによって相手側をけん制しているのですよ。ですから、私のことは他言無用でお願いしますね」と藤田は念を押しました。
「今日は、私が一週間の間に調べて解かったことをまとめて報告します。硬くならないで、コーヒーのみながらリラックスして聞いてくださいね」
* * * * *
藤田は夏川大学の図書館にいました。京都大学に肩を並べる膨大な蔵書を有し、インターネット検索システムが完備している、日本有数の図書館なのです。しかも藤田のような卒業生にも広く利用の権利が与えられているのです。
藤田は夏川大学歴史学部の夏川大学吉田研究室(日本古代史研究講座)で勉強したのでした。もう20年以上前です。厳しい吉田教授の下で歴史を学びました。発掘結果や資料を事実として真摯に見つめ、科学的に検証し推理し仮説を立てて立証していく。その姿勢を徹底して叩き込まれました。それは今の探偵業にも生きていると藤田は確信できます。藤田は対面調査・聞き取り調査は非常に得意です。嘘をついているか本当のことを話しているか、あるいは何かを隠しているか、どれほどの確度をもって話しているか、などを見抜くのが上手いのです。それは、もはや会うことのできない歴史上の人物のことを推理し検証していく技術をしっかりと身につけた藤田にとっては、朝飯前のことなのかもしれません。
環境問題については佐和子にレクチャーを受ければよいし、弁護士の杉谷伸一氏については後藤に継続して調べさせています。藤田の印象では、杉谷氏はキーマンであることは間違いないが、陰謀の中心人物ではない。むしろ利用されているのではないか、杉谷氏の周辺でなにやらうごめいているものを感じているのです。藤田が調べたかったのは、石垣島と中国との関係についてです。特に中国から見た石垣島というのはどのようなものか?という視点で調べてみたかったのです。中国語で書かれた文献などを中心に、インターネット等も駆使して、藤田はおおよそ以下の情報を得ました。
調べていくうちに興味深い新聞記事を見つけました。中国の一般紙の記事で、その内容は概ね以下のようなものでした。
1974年11月の記事。
中国の大学の歴史研究チームが台湾政府の協力のもと、東シナ海から沖縄(石垣島)にいたる海中遺跡の調査を進めた。その結果、石垣島近海海底にに古代遺跡跡のような人工的な石建造物を発見した。調査を指揮した大学教授・鄧貴志は「歴史的な発見につながるものだ。海底にはまだまだ未調査のものが多く調査を継続したい」とコメント。今後は政府エネルギー省の援助で大々的な調査を敢行する予定。
「遺跡の発掘調査にどうして政府エネルギー省が援助するのか?」
違和感を覚えながら、検索を続けました。その記事に関する関連ページや記事は見当たりませんでした。調査を追跡する記事も見つけることができませんでした。藤田はふと思いついて、その記事が出た前後、日本のマスコミはどのような報道をしたのか調べました。石垣近海で「発見」があったのですから、何がしかのニュースとして記録されていないか、そもそも石垣近海での調査となると日本政府の協力が不可欠ではないか、と思ったからです。ところが不思議なことに、日本側の報道では、遺跡発見とか中国の研究チームと共同発掘、などといった記事は全くされていませんでした。
不思議だ、と藤田は思いました。中国の政府エネルギー省が関係するような調査はとても大掛かりです。その足跡が見えない。すくなくとも日本国内からは検出できない。中国の一般紙だって、その一回きりの記事だけで、その後の経緯を伝えていない。藤田は、何らかの隠蔽工作にも似た作為を感じました。
続けて検索していてふと目に付きました。
1983年3月のやはり同じ中国の一般紙の記事。
中国の歴史学の権威・鄧貴志教授が古代都市研究のため石垣島を訪れた。現地に存在する海中都市遺跡を調査した。現地の研究者との10年近くにわたる共同研究が実を結んだ形だ。海中都市に関するシンポジウムを来年にも石垣島で開催する予定で、それまでに研究の細部にわたるつめを行なっていく予定。
藤田は手ごたえを感じました。1974年に新聞記事に登場していた鄧貴志教授が9年後にも登場し、今度は石垣島の土を踏んでいるという。しかも日本側の研究者と接触しシンポジウムまで開催することになっていたという。では国内の情報を探れば、鄧貴志教授や応対したという日本側の研究者のことがわかるはず。シンポジウムが実際に開かれたのなら、なおさらです。
そもそも、石垣島にある海中都市遺跡というものを、藤田は聴いたことがありません。本当にそんなものがあるのか?と興味をそそられます。海中都市遺跡、シンポジウムなどについて新聞をくまなく調べました。国内主要新聞のほか、沖縄のローカル紙についても細かくチェックしてみたのですが、期待に反してこれも見つけることができませんでした。
ただ、鄧貴志教授が来日したと報道されている日の翌々日の沖縄地方紙の朝刊に小さな記事を見つけました。
1983年3月15日
石垣島の観光スポットである白保珊瑚礁近くのホテル「珊瑚」の一室で、農業で郷土史家の佐々木賢一さん(71)が意識を失い倒れているのを発見され、病院に運ばれたが間もなく死亡。死因は何らかの薬物の摂取による中毒であるが詳しく検証中。県警では他殺事件と見て現在捜査中。(以下関連ページ)佐々木さんは終戦後早い時期に石垣島に居住し地元農業を手伝い生計を立てる一方で、石垣島の郷土史の研究を続けていた。これまでに何冊かの著作もある。関係者は一様に「穏やかな人だった」「事件に巻き込まれるような人ではない」と証言しており、当日の佐々木さんの足取りを含めて県警は慎重に捜査を進めている。
藤田は、ピンと来ました。その後の報道を探しても続報は見つけられませんでした。容疑者は浮かばなかったのかさえも報道からはうかがい知ることはできません。ここにも何らかの闇を感じました。「佐々木」という名前も見過ごすことはできません。佐和子の上司で現在行方不明の佐々木研究所長と関係があるのではないか?藤田は佐々木研究所長の父親ではないかと推測しました。
20年以上前におきた石垣島での殺人事件。その被害者の息子が、今度は、取り組み始めた石垣島の環境研究に関するトラブルで行方不明。キーワードは中国、そして海中都市・・・・。
* * * * *
佐和子は藤田の説明を聞いて息を呑みました。中国と日本の東シナ海ガス田の問題かと思っていたら、古代海中都市が出てきた。何所から考えてよいかわからないほどです。藤田は言いました。
「事実を確認したくて、私はその1983年に石垣島で無くなった佐々木賢一さんについて調べてみたのです。もちろん、佐々木常務との関係についても。その結果、やはり二人は親子であることがわかりました。佐々木常務は佐々木賢一さんの長男で、中学まで石垣島で過ごしました。その後、進学のために那覇へわたり、ついで本土の大学に進学したのです。そこで後に弁護士となる杉谷伸一氏と知り合ったようです」
さらに続けます。
「そちらのほうの調査は部下の後藤に任せました。私のほうは父親のほうの佐々木賢一氏のほうを一週間かけて調べてみたのです」
藤田はそういって、かばんから一冊の古い本を取り出し、佐和子に手渡しました。
ハードカバーの表紙には『海中都市リミュランティスの謎』というタイトルと「佐々木賢一」という著者名が刻まれていました。A5サイズで400ページほどの論文集のようでした。
「私は石垣島を詳しく調べたいのです」と藤田は言いました。「この海中都市を探すことで、佐々木常務の行方に近づけると思うのです」
「・・・!」
「でもその前に・・・」
「その前に?」佐和子はききます。
「杉谷弁護士に会いましょう!」