「フルサト」by ハイフェッツ


第68章 もうひとつの邪馬台国~里巫女伝説⑬


(2007年11月27日)

 医術と薬術に関する豊かな知識を活かし、徐福は吉野国の民衆のために働きました。これまであきらめて死を待つだけだった病人を何百人も救いました。貧しい人も裕福な人も地位の上下の隔てなく尽くし、多くの人々から感謝されました。徐福は施術を行なう一方で薬草の調査探索もすすめ、現地の山奥に生えていたカンアオイという植物を発見し、それを醗酵・乾燥させたものを煎じて飲用することで、身体や心の不調を和らげることを見つけたりしました。ちなみにこのカンアオイはこの地方では江戸時代くらいまでは「フロフキ(フロウフシの変化か?)」という別名で知られていました。

 ある時、国王ミライに徐福は申し出ました。
「ここからさらに東の方にはもっと違った植物が生息している。調査したいのです」
国王ミライは残ってくれるよう説得しましたが止めることができせんでした。そして最後に一言。
「徐福さまのおかげでこの国も栄えてきました。旅に出られても私たちは同士として交流いたしましょう。旅先でまた新たな国づくりに取り組まれることもあろうかと思います。いつ何時でもお助けできることはお助けいたします。徐福さまについて行きたいと願う若い民衆も大勢おりますから」
「ありがとうございます、ミライ様。」と徐福。そして、
「旅は長く厳しい。妻のリミは連れて行けないかもしれません。戻るまでの間、どうか宜しくお願い致します」
 
  出発の日、徐福はリミに言いました。
「できるだけ早くに戻ってきますから。必ずね!その証としてこの品をリミさんに持っていてもらいたいのです」
そう言って、徐福は小さな木箱に収められた金属片を取り出しました。それは美しいナイフの形をした銅製のお金でした。普通に用いられた通貨ではなく、始皇帝から「斎」国出身の徐福へ授けられたもので、徐福の「秦」での立場を保証する大切な品でした。『秦始皇帝斎国徐福貨』、つまり「秦の始皇帝から斎国の徐福に与えた貨幣」の意味の刻印が明記されています。
「お戻りになるのは、いつですか?」とリミは品を受け取る代わりに訊きます。徐福をいつまでも待っているという決心は既にしていました。
「それは・・・・・、あとで使いの者に言わせます」

 来航の時の歓迎式典の時と同様に、リミの歌声が港に響きます。切なく悲しくも美しく燃ゆる歌声でした。その声を受け止め、徐福は出航しました。有明海を出て九州を北に回り、下関から瀬戸内海へ入り以降、東へ進む航路です。

 旅路の徐福は、真剣に薬草の探索を行ないました。その過程で佐賀平野よりももっと大きな平野のある盆地を見つけました。また、良質な砂鉄の採れる山地も見つけました。連れてきた数百人の若者はその土地に住み着き生活を始めます。徐福はここでも医者として、政治的指導者として一生懸命働きました。

 ある時、徐福は若くて足の速い家来を呼び寄せました。吉野国のリミへの伝言を頼むためです。
「吉野国へ戻って、国王ミライ様とリミ姫に伝えてほしい。『あと5年したら戻りたいが如何か』と。そして私が吉野国に戻っても良いかどうか返事を聞いてきてほしい」

 使いの者は徐福の忠臣でしたので、一生懸命はしり吉野国に到着しました。そして国王ミライとリミ姫に面会を許され、かの地での徐福の活躍を誇らしげに報告しました。ミライもリミも大層喜びました。
「それで、徐福様はいつ戻ってこられるのですか?」
リミは勢い込んで訊ねました。使者は答えました。
「はい!あと五〇年したら戻りたいとのことでした。いかがでしょうか?」

 この使者の言葉を聞き、リミもミライも絶望しました。徐福は吉野国を捨てたのか?吉野国だけではなく愛する女性を捨てたのか?このとき以来、リミは寝込むことが多くなりました。徐福が使者に持たせたフロフキを飲ませようとミライは苦心しましたが、飲もうとしません。そしてとうとう病気で息を引き取りました。

 怒り心頭のミライは使者を幽閉しました。使者を厳しく取り調べた結果、五〇年というのが通訳の間違いであり、実は五年後には帰国することが分かりました。時、既に遅し! 

 あまりに悲しい出来事に、吉野国民衆皆が嘆き悲しみました。そしてミライはリミのために社を建てて祀りました。若くして亡くなったリミのため長生きができるように皆でお参りしました。この地に先端技術・医術などをもたらした徐福への感謝もこめて、祭神を徐福としました。徐福の願いでもあり、リミの願いでもあった徐福の帰国、里への想いをこめてのことです。全てをもたらす太陽と、それを受け止める大地とに感謝し、天照国照への感謝を込めて・・・。

 神官にはリミによく似た容姿の女性が選ばれ、以降、里巫女として連綿と受け継がれていったそうです。

 ◇ ◇ ◇ ◇ 

「以上が兼久神社に伝わる里巫女伝説です」
話し終えた兼久りみが一息つきました。
「この伝説は古来より伝えられてきたものですが、室町時代の兼久神社当主(神官)の縁者であった兼久羽衣辺都(かねく・はいへつ)により明文化されました。実物は失われましたが、江戸時代の写本が残っております。これがその写本です。そしてリミが徐福から受け取ったという『秦始皇帝斎国徐福貨』がこれです」と、古い木箱に入った古い小冊子とナイフ型の金属片を智秋に示しました。

 智秋と美奈子は食い入るようにそれらを慎重に手にとり見つめ読み返します。『秦始皇帝斎国徐福貨』が本物だとすると、徐福日本到来の決定的な証拠となるのです。慎重に判断しなければなりません。智秋はとても興奮しました。鑑定を急ぎたい気持ちでいっぱいになりました。

 ふと横の美奈子を見ると、美奈子は涙を流して古い小冊子のほうを読みふけっています。
「どうしたの?」と訊くと、
「だって・・・・・、だってあまりに可哀想じゃないですか・・・・・。言葉のちょっとした誤解で取り返しのつかないことになってしまうなんて・・・・・」

 兼久りみは言いました。
「江戸時代に新井白石がこの地を訪れてやはりこの伝説に大変感銘を受けて深く考え込まれました。『これが事実なら日本の歴史は大きく根底から考え直さなければ・・・』と言ったそうです。でも結局、後になって『兼久神社はでっち上げだ』ということにされてしまいました。やはり日本の歴史を積み上げてきたものの大きさに抵抗できなかったのではないでしょうか」

 そして最後に2人に言いました。
「私も徐福さんの存在証明や歴史との関わりについて興味が無いわけではありません。当事者ですから。でも、これまで何千年も信じられてきて実践されてきた信仰を科学的な視点だけで判断されたくはありません。私は神官として果たすべきことを果たすだけなのです。徐福さんを信じるというよりも、私は私に徐福さんのことを伝えてくれた母や祖母を信じます。その祖母も、祖母の祖母から伝えられて、ずっと続いてきたのです。もし徐福伝説が真っ赤なうそであったとして、それを伝えている私が地獄に落ちるとしましょう。でもその地獄には私の大好きな祖母や母、さらにご先祖さまや、徐福さんもリミさんも居るのでしょう?それならそれでいい。寂しくないし後悔もしない。さっきのおばあちゃんとお孫さん、とても可愛く微笑ましいでしょう?そういった素朴で素直な気持ちを傷つけるようなことだけは、やめて下さいね」

 ◇ ◇ ◇ ◇

 兼久神社をあとにして、ソアラで山陽自動車道を奈良に向かっている間、智秋と美奈子は里巫女伝説についていろいろな話をしました。取りあえず科学的な鑑定が必要ですので、神官の兼久りみさんの了解と協力は取り付けました。おそらくとんぼ返りで吉田教授とともに再度、兼久神社を訪問することになるでしょう。

 徐福が『不老長寿の薬』をどこまで本気で求めていたのかは分かりません。智秋はむしろ懐疑的な印象をもちます。物語はきれいなところのみ伝えようとするので。徐福の東への移動は、実際は権力闘争の結果なのでしょう。徐福が急に身近になった気がしました。徐福は政治家であった以前に、医術に長けた科学者であったという点は重要な指摘になります。仮説の大筋は変わりありませんが、今後の調査・展開において有機的な面白さを見出したことは大きな成果でした。

 それにしても、リミの死を耳にした後、徐福はどうしたのでしょうか? 吉野国に戻り兼久神社を訪れたのでしょうか? 不老不死の薬を手にしていたら、リミはいつまでも徐福を待つことが出来たのでしょうか?

里巫女伝説


夏川りみさんと遊ぼう