「フルサト」by ハイフェッツ


第62章 もうひとつの邪馬台国~里巫女伝説⑦


(2007年10月25日)

 東京有楽町にある朝田新聞社東京本社役員会議室にて、朝田新聞文化部と夏川大学吉田研究室の共同研究による「徐福伝説再考」の報告会が行なわれています。研究開始から半年が経過し中間まとめと今後の方向性を探る重要な会議です。したがって、朝田新聞社側からは常務取締役である木下編集局長、局次長、藤田文化部長他、文化部副部長、さらに系列会社のテレビ朝田の主席プロデューサーも出席です。
勿論、内田美奈子記者も役員へのプレゼンということで緊張した面持。対して夏川大学からは、吉田教授と智秋助教授に加えて、何故か夏川りみのそっくりさんの秦沙織もちゃっかりと会議椅子に腰掛けています。この日はプレゼン用のパソコンソフトを操作する役割を仰せつかったのでした。

 会議冒頭、木下編集局長常務取締役より一言。
「わが社は以前より考古学研究への協賛活動を続けてきた。新聞社の使命として、自由の確保と権力の監視が言われるが、最も基本的なことは真実を調査し伝えること。今回の研究テーマは中々歴史的事実を調べることの出来ない時代への取り組みであり、ある意味事実を超えた真実をどう捉えいかに伝えるか。捏造事件などの恥ずべき過去は論外であるが、どのように真実に迫るかというプロセスを明確にし、古代史論争への一つの提案の形を示したい」

 意気込みに智秋も美奈子記者もすくみあがりそうになります。
  ついで、藤田文化部長がテーマ設定のいきさつを説明。

「日本の歴史には大きな転換期が幾つかある。終戦、明治維新、大和朝廷成立、縄文から弥生時代へ、そして縄文以前。このうち終戦や明治維新は現代から見て比較的身近であるから大きく見えるが実はそうではない。政治史のひとつのポイントではあるのだが。人類の生活という点からするとたいしたポイントではない。むしろ、日本に限れば東京オリンピックまでの庶民の生活は弥生時代のそれと大きく変わらないのではないか。新幹線・テレビ・電話の普及・自由な海外旅行が出る前は、それぞれ便利にはなってもそんなに弥生と変化なかったのだと思う。では弥生文化をもたらしたものは何か。誰なのか。ここを探ることで現代の日本人の持つ価値観や習慣、われわれが自分自身を日本人だと思う感覚はいつ頃どのように形成されたのか。どのような歴史的背景で形成されたのか。ここを考えたい。このように考えると『徐福』を避けては通れない。夏川大学の吉田教授に相談させて頂いて、学会ではなかなか取り上げない『徐福』研究に快諾してくださった。改めてこの場で御礼申し上げさせていただきます。学会で取り上げられないということは学問の対象から外れているということであるが、その理由の一番に挙げられるのは資料が少なすぎて事実を組み立てていけないこと。今の学会は証拠主義ですから。したがって徐福は実在したことは認めても、日本にたどり着いた証拠が全くないとなります。ここをどうクリアするかです。研究にあたり吉田教授に強く言われていること、それは『記紀神話からの引用はしない』ということ。タブーは作りたくないが記紀と絡めてしまうと荒唐無稽な新たな『神話』を生み出しかねない」

 吉田教授は大きくうなずき、一言。
「今回の取り組みに参加させてもらってありがとう。素晴らしい助手の力で徐福と古代日本のかかわりについて意欲的な提案ができるのではないかと思う」

 美奈子記者による発表が始まります。照明を落とし、皆がスクリーンに注目します。沙織がパソコンデスクトップの「徐福集団と日本の黎明」というファイルをクリックすると、スクリーンいっぱいに、石垣島の自然のように、抜けるような青い空と青い海の情景が映し出されました・・・。

里巫女伝説


夏川りみさんと遊ぼう