「フルサト」by ハイフェッツ


第60章 もうひとつの邪馬台国~里巫女伝説⑤


(2007年10月17日)

 休日、智秋ははじめて美奈子を誘いデートしました。といいましても、ロマンスに発展する要素は全くなく、夏川大学近くの纏向遺跡、卑弥呼の墓ではないかとも言われる箸墓古墳、そして大神神社を散策するという、半ば仕事のようなものでした。

 しかし事情を知らない周囲の人から見ると、カップルのように映ったかもしれません。ここのところ徐福文献の調査ばかりでしたので、気分転換もかねての(吉田教授抜きで!)「プレ」フィールドワークといった意味合いでした。

「邪馬台国が東征するというのは戦前から唱えられていた説ですよね」と美奈子が訊ねます。
「そうですね。一般に東大系の学者は北九州説で京大系は畿内説といわれますが、奈良に近い京大は考古学に基づいた実地調査に有利だったことから畿内説に傾き、文献調査に頼らざるを得なかった東大系は北九州説を唱えることが多くなったわけです。邪馬台国が大和朝廷を作ったという説を立てようと思うと、邪馬台国東征を考えざるを得なくなる。その拠り所は『記紀』の中に神代の昔の記憶として記されているのでは、となる」
「でもそれだと、記紀の呪縛に縛られているように思います」と美奈子は尤もな意見。
「そのとおり」
これは智秋も素直に認めます。

「『記紀』は藤原不比等の政権運営を正当化するために書かれたというのが現在の定説です。何を隠蔽し何を創作したのか、これも謎が多い。蘇我氏と天皇家と反蘇我氏の藤原氏・・・、繰り返される権力闘争があったことは間違いありませんが・・・」

 こう言って智秋は一旦言葉を切り、深呼吸して続けます。
「五世紀には東北から九州にかけて、ほぼ同系統の前方後円墳が普及しています。ということは、その頃には九州から関東に至る緩やかな統一国家らしきものが出来ていたのではないかと推定されています。それは概ね間違いないと思いますが、卑弥呼の時代から100年から150年くらいの間の激動の波に、私は徐福の子孫たちが関わっていると思うんです。邪馬台国東征がいつどのタイミングで実行されたのか。実は今回の研究で方向性を決めたいんです!」

 二人は三輪山を見つめました。古代人達の信仰を集めた山であり、その美しい三角形の姿にはとても品格があります。その三輪山のふもとにある大神神社。大神と書いて「おおみわ」と読みます。敷地面積ではおそらく日本最大の神社であって、祀っている神は「大物主神(オオモノヌシノミコト)」。
「この大物主神とは、どういう神様なのですか?」美奈子は訊きました。
智秋は頭をかきながら答えます

「大物主神にも謎が多いのです。国譲りで有名な大国主神(オオクニヌシノミコト)と同じく出雲系の神様には違いないですが・・・」
「神様は専門外ですか?」
「歴史学の分野ではないですね。民俗学になります。神話の世界に入り込んでしまうと答えが出なくなりますから。でも神話には何らかの形で史実が反映されているということも言えますから。全国に無数にある神社をまわって、そこに伝わる系図なり伝承なり祀られている神を拾い上げることによって、記紀に縛られない本当の歴史がわかってくるはずだ、として研究している人も居ます。原先生という方ですが、調査対象を記紀成立以前、つまり七世紀以前の神社に絞っているそうです」
「つまり、それ以降だと藤原氏の監視下に置かれているので歴史がゆがめられているということですね」
「そのように原先生は疑っておられます」

 美奈子は目を輝かせます。
「その原先生にお話伺いたい・・・」
智秋は「そうですね、徐福集団の末裔のヒントが得られるかもしれない」と答えました。

 ◇  ◇  ◇  ◇

 折角のデートでしたが、会話は古代史の話ばかり。それは勿論、楽しくためになるのですが・・・。デートの最後に二人は近鉄奈良駅の近くの洋食屋へ入りました。ビーフシチューが飛び切りの、智秋自慢のお勧めのお店です。

 二人ともお腹がすいていたのと、シェフが「今日は特に上手に作れた」というのとで、食事の量もお味も大満足です。さすがに食事中の話題は古代史を避けました。美奈子の学生時代の話、新聞社での出来事などなど。話す表情はとても生き生きとして若い女性特有の明るい笑い声もしばしば。古代史以外の話のおかげで大分打ち解けてきました。

 楽しい食事も終わりワインを味わってほろ酔い気分に浸っているとき、美奈子がふと斜めの席に座っているグループに目をやり、そして驚きました。

「どうされたの?」

智秋は訊きました。美奈子は押し殺した小さな声で智明に訊き返しました。

「あのテーブルのお客さんのなかの女性の一人、歌手の『夏川りみ』さんじゃないですか?」

里巫女伝説


夏川りみさんと遊ぼう