「フルサト」by ハイフェッツ
第61章 もうひとつの邪馬台国~里巫女伝説⑥
(2007年10月22日)
智秋もそのテーブルの方をそっと振り返って見ました。男性3人と女性2人のグループが6人がけの店の奥のテーブルを囲んで座っています。そのうちの一人が夏川りみさんのようでした。もう一人の女性はその夏川りみさんととてもよく似ておられます。年齢から察するにお母様でしょうか。そして男性3人はそのお母様と同世代に見えます。後援者の方でしょうか。和やかな雰囲気で時折笑い声が聞こえます。
夏川りみのCDをこよなく愛する智秋はドキドキしています。サインもらおうか、握手してもらおうか、それとも写真撮らせてもらおうか、など。しかしプライベートな雰囲気であったので遠慮しました。美奈子との話題は、これをきっかけに音楽の方面へ。
「内田さんはどんな音楽聴きますか?」
「私は、もう、ミスチル一筋!という時期もありましたけれど、、、最近はショパンですね」
「クラシックですかぁ・・・。私はまず、クラシックに傾倒して、次はサザンに嵌まって、そしてテレサ・テン、ドリカム、今はりぃみぃ」
「りぃみぃ?」
「夏川りみのことですよ」と智秋は得意げに言います。
美奈子は驚いて、そしてけしかけます。
「じゃあ、握手してもらったらいかがですか?」
「では」と智秋は腰を浮かせて「行ってこようかな!」
智秋が席をたとうとした、ちょうどその時、件の夏川りみご一行様が食事を終えて出るところでした。智秋はあわてて近くに走りより、
「こっ、こっ、こんにちは!!」
突然のことに夏川りみさんは「・・・えっ!・・えっ!?・・どちらかでお会いしましたか?」と驚きましたが、すぐに納得したように笑顔になりました。
「私はよく夏川りみさんとそっくりだと言われるのですが、別人なんですよ」
「え!」
智秋は言葉が出ません。
そっくりさんは続けます。
「それに本物の夏川さんは34歳ですけれども、私はまだ19歳です」
そう言われてみれば、、、。
少し落ち着きを取り戻して、智秋は訊ねました。
「いや、びっくりしました・・・。ほんとにそっくりですね。こちらへは観光でこられたのですか?」
「私、夏川大学の1年生です」
「え!」智秋はもう一度驚きました。そして告げました。
「私は夏川大学で教鞭をとっているのですよ!」
「まあ!」
今度はそっくりさんだけでなく、そのお母さんもあとの男性3人が驚く番でした。そして、
「どうぞ娘を宜しくお願いします」と。簡単に自己紹介して、では研究室へ一度遊びにいらっしゃい、月曜日にね、ということでお別れしました。男性3人は親戚のおじさんとのことでした。
夏川りみさんと話しているようで何だか不思議な気分でした。美奈子もあまりのことに感激したようです。
「他人の空似とは思えないほどそっくりでしたね」
智秋も遠くを見つめるようなまなざしで答えます。
「そうですね。それにしても彼女、名前を『秦沙織(はた・さおり)』といってたけれど苗字から推察して徐福集団の子孫だったりして・・・」
中国の歴史書『義楚六帖』によると、顕徳五年(AC958年)日本僧弘順大師が「徐福は各五百人の童男童女を連れ、日本の富士山を蓬莱山として永住し、子孫は秦氏を名乗っている」と伝えたとあるのです。
「しかしそれは徐福渡航から1200年もたってからの記録ですし、信頼できる『史記』に尾ひれが付いたものだとおっしゃってたじゃないですか?それに富士山って・・・」と美奈子は反論します。
「ちょっと酔っ払ったかな?」と智秋は頭かきかき。
「ワインに酔ったのじゃなくて、そっくりさんに幻惑されたのね~」
美奈子は面白がり、智秋は苦笑い・・・。
◇ ◇ ◇ ◇
その後、さらに研究を続け、仮説を確かなものにすべく時折フィールドワークを実施しました。取材の際は美奈子は八面六臂の大活躍、さすが朝田新聞社のジャーナリスト。的確な情報を最大限収集し現場では話を聞き確認を取る。電話で予めアポをとるのは勿論ですが、電話の相手は郷土史研究家であったり神社の神主であったりと、徐福については並々ならぬこだわりを持つ人物ばかり。電話での話し方で、こちらの知識・能力が相手を上回っていると思わせるようでないとフィールドワークは実を結びません。その点、実に美奈子はよく勉強し、情熱を持って取材にあたっています。
研究室には時々あのそっくりさんの秦沙織も顔を出し、資料のコピーや買出しなどを手伝ってくれます。研究室が活気付くだけでなく、華やかになっていく様子をみて、吉田教授は満足げです。
とはいえ、研究には厳しい姿勢で臨みます。ともすれば仮説の面白さにとらわれすぎて見落としている点があるときには容赦なく叱りとばします。自由に研究してよいといっても、あくまで研究であることを忘れてはなりません。これは吉田教授と美奈子記者との綱引きでもあるのですが、同時に朝田新聞社とのせめぎあいでもあります。そういうせめぎあいがあってこそ、緊張感のある調査ができる、と吉田教授は考えるのでした。