カナダからの手紙
【前略 ハミングバードホステルより】
ハミングバードホステル(10)
by ユキ 04/18/01
ハミングバードホステルを知らない人のために、ちょっと説明をしておかなければなりません。 カナダ西海岸、バンクーバーアイランドのさらに太平洋側、パシフィックリム国立公園も含むクレイオクオット海峡の中腹に、フローレスアイランドという、インディアンの住む島があります。そこに1999年7の月、地元漁師の息子とその友達の日本人青年の手によって、ハミングバード・インターナショナル・ホステルという、いわゆるユースホステルがオープンしました。
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しかし、漁師の息子は実際のところ途中で逃げてしまったので、残された日本人の青年は、一人で必死にがんばりました。そして2年目を迎えたとき、彼はそれまで親切にしてくれていた地元インディアンの青年に権利の半分を与えてパートナーシップを結び、ハミングバードホステルを会社として設立します。
しかしそれは卑劣な罠でした。会社として設立されるやいなや、インディアンは法律を逆手にとって、ホステルの権利をすべて奪ってしまったのです。その上、シアトルにあるカナダ領事館は、二度にわたって日本人青年の翌年の労働許可申請を却下しました。ネックになったのは、やはりそのパートナーシップに関する法律でした。島ではインディアンがホステルの金庫を自宅に運び込んで閉じこもってしまいます。
そんな内情とは裏腹に、ハミングバードホステルの評判は、旅行者たちのパラダイスと地元新聞にも一面で紹介されるほど良いものがほとんどで、知名度も世界的になりつつありました。 日本人青年は、自分が創設し、愛し、育んだホステルを守るため、だからこそ、今年限りで閉鎖しようと決心しました。そしてパートナーのインディアンが主張する、ばかげた金額の取り分を全額無条件で飲むことと引き換えに、パートナーシップの解消、会社の解散を合意させます。そしていよいよ、島を離れる日が数日後に迫ったある日。
インディアンの村から「なんとかあきらめずに、商売を続けてはくれまいか」という要請が、彼のもとに届きました。ハミングバードホステルの存在により、多くの旅行者たちが訪れるようになったため、ようやく村が活気付き、いよいよ来年には、大勢の村人が新たに観光産業を起こそう、と前向きな希望を持ちはじめたところだったのです。
青年は、労働ビザの取得に村として協力してくれるつもりなら、という条件で、閉鎖の決定は一時保留にして待つことにしました。でももう時間はありません。青年のカナダ滞在の許可日数は、もうそれほど長くは残っていないのです。それでもなかなか、村からの公的な書類等は届けられませんでした。 しかたなくそのまま島を離れることになったその日、会社の解散、そして新たに青年の単独経営の新会社として、ハミングバードホステルの登録を行いました。そのことに意味はあるのか? いったいどれほどの可能性が残っているというのか……?
ホステルの建物の維持費に限らず、それそうとうの経費を放出しつづけることになるのです。それなのに、もし結局ビザが取れないとなったら……?バンクーバーの移民局の、東京のカナダ大使館に申請してみたらどうか、というアドバイスにも、はたして希望はあるのでしょうか?
運命の意図に導かれるように、青年は帰国の途につきます。
ハミングバードホステルの存続を賭け、決戦の場は、東京に持ち越されたのです。
このレポートは
Hummingbird International Hostelのユキ様より頂いています。