佐々木巖流之碑


桟橋の近くにある巌流島の地図。北南が逆になっているので注意。薄茶色の部分は立ち入り禁止区域で埋立てられた場所とほぼ一致する。緑色の場所が、舟の形をしているとされる元来の巌流島。立ち入り禁止区域の内、一本だけ海岸沿いに遊歩道が伸びている。

巌流島には桟橋のそばに釣りデッキもあって釣りが出来る。ただし投げ釣りは禁止だそうで浮き釣りかミャク釣り、サビキ釣りといったところか。当日も釣り人はいたが、特に釣果も無いようだった。場所的には悪くないと思うのだが、渡船待ちの見物客が寄ってきそうで静かに釣りたい人には不向きな気もする。


多目的広場の端に「佐々木巌流之碑」 と記された立て札が立っている。矢印に従って行く。

佐々木巌流之碑

これは、明治43年(1910)に船島の
開鑿工事(工期1908~1910)が
完了したのを記念して建てられた碑です。
はじめは、島の中央に建てられていましたが、
いつの頃かこの場所に移されました。
いまでも佐々木巌流を偲び、手を合わせる
方が途絶えません。

本体・自然石 高さ・120cm 幅・65cm 厚さ・45cm
台座の高さ・100cm

     巌流島奉行 下関市長
佐々木巌流之碑の解説板より転載

巌流とは佐々木小次郎の流派で、佐々木小次郎の号でもあり、佐々木巌流小次郎とも呼ばれる。奉納箱もあって島で唯一時代を感じさせる石であり、400年の歴史に冥福を祈りたくなる。


東屋の横に関門橋に向かって舵をとる船のモニュメントがある。
巌流島 武蔵・小次郎決闘の地 慶長17年4月13日(1612)
下関市大字彦島字船島64 昭和61年3月吉日建之

巌流島

白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える。
この後も、絶えず兎禰の眼に浮んで消えることのない
であろう小次郎の生きている面影であった。

原作 村上元三
佐々木小次郎より
巌流島の船型モニュメントより転載
小説の一部を抜粋して刻んだ文の下に、決闘の様子を描いたタイルの絵もあった。宮本武蔵が櫂の木刀を両手で持って飛び上がっている様子が描かれていた。短い木刀は持っていないようだ。史実には不明な点が多いという事か。