巌流島案内
現在の大きさ 103,000㎡
埋立て前の船島の大きさ 17,000㎡
住所 下関市大字彦島字船島648番地
巌流島の案内板より転載
上の案内板の中で埋め立ての地図だけを切り出した。埋め立て前の形は船の形をしており、正式名称は船島(ふなしま)。埋め立て前の形を中心として公園として整備されているが、埋立てられた部分の大半はかつて軍事用に三菱重工業が埋立てたもので、現在も三菱重工業の私有地となって立ち入り禁止となっている。
下関と龍馬
龍馬とお龍も巌流島に上陸?
巌流島は、慶長17年(1612年)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地として広く知られていますが、実は坂本龍馬の逸話も残されています。
慶応3年(1867年)春、下関(本陣 伊藤邸)に世帯を構えた坂本龍馬とその妻お龍、ある夜、巌流島にこっそりと渡り、花火を打ち上げたと、後年、お龍が語っています。
そこで花火を上げたかは皆様の想像にお任せいたします。
お龍
天保12年(1841)~明治39年(1908) 写真提供:井桜 直美氏
坂本龍馬
天保6年(1835)~慶応3年(1867)
三吉治敬氏蔵 米熊・慎蔵・龍馬会管理
この説明版は、蒸気帆船(黒船・ユニオン号・いろは丸等)の操舵や帆をイメージし、市内に点在する龍馬ゆかりの地に設置しました。
平成22年8月吉日
下関市長 中尾友昭
下関市観光施設課の説明版より転載