日本西門鎮守八幡宮の社殿。ちょうど平成25年は20年ぶりの伊勢神宮式年遷宮の年であり正面にその垂れ幕が下りていた。
日本西門鎮守八幡宮の揚額は木地に金箔文字だけだが縁取りが凝っていて繊細な造り。赤間神宮の青緑を使った額と比べると色味は少ないが、十分に引けはとらない。
赤間神宮と鎮守八幡宮の間にひっそりと小さな天神社がある。小槌の描かれた小さなお賽銭箱の隣りに沢山の絵馬が奉納されていた。小さな社でも屋根は意外なほどしっかり作ってあった。屋根は建物の寿命を左右する最重要課題。
次に「耳なし芳一堂」 に向かうため赤間神宮の向かって左手に移ると、水天供養塔がある。
水天供養塔の由来
安徳天皇は御位のまま御入水され
水天皇・水天宮と申し上げます。
吾が国民は天皇の御守護のもと
暫く永らへ安心して寡黙も出来ます。
同時に亦国民同胞も中に或は海難に
水難にと幾多の水没者の方々は即ち
水天皇さまの御膝元に冥りたく、
此の石塔の台石下に幾多の小石に
名を留めて納められています。
人は名を留むる事に依り安心を得る
もので即ち是を水天供養塔と申します。
一、昭和25年3月建立
一、今次大戦中水没者霊位
赤間神宮13重御宝塔
13、虚空蔵天
12、大日如来
11、阿門如来
10、弥陀如来
9、勢至菩薩
8、観自在天
7、薬師如来
6、弥勒菩薩
5、地蔵菩薩
4、普賢菩薩
3、文殊菩薩
2、釈迦如来
1、不動明王
水天供養塔の由来より転載
3つの13重の塔には一重ずつ意味があることが判ったので、こうべをたれて先に進む事にする。
「耳なし芳一堂」 への道は「平家一門之墓」 と刻まれた石碑の前で行き止まりになる。左の白壁の向こうが「平家一門之墓」。右上に見える赤い格子が「耳なし芳一堂」。