源義経と平知盛


関門海峡トンネル人道の下関側入口の前には国道9号山陽道が通っていて、その先に源義経と平知盛と2つの像が相対して立っている。

門司側の関門トンネル人道入口は少し高い場所にあったが、下関側は低い場所から関門橋を見上げる形になり、視野も広いため関門橋の印象がかなり違う。


源義経の代名詞である八艘飛び(はっそうとび)の義経像と碇潜(いかりかづき)を振り上げている平知盛の2つの像が関門橋をバックに相対している。
2体の間に門司城のあった古城山が正面に見える。


八艘飛びで波の上を飛び越えている姿が描かれた源義経像。像の前には大河ドラマで義経役を演じた滝沢秀明氏の手形プレートが設置してあった。

序幕者 滝沢秀明

源義経像・平知盛像 竣工記念
序幕者 滝沢秀明
(2005年NHK大河ドラマ「義経」 源義経役)
2004年12月12日
源義経像・平知盛像の手形プレートより


海に向かって右手は碇潜(いかりづき)を頭上に振り上げている平知盛像。平知盛像の前にある手形はNHK大河ドラマで平知盛の妹建礼門院徳子(平徳子)役を演じた中越典子さんのものだった。建礼門院徳子は安徳天皇の母。

序幕者 中越典子

源義経像・平知盛像 竣工記念
序幕者 中越典子
(2005年NHK大河ドラマ「義経」 建礼門院徳子役)
2004年12月12日
義経像・平知盛像の手形プレートより
素敵な女優さんの手は想像通り綺麗な手だった。

除幕式ではなくNHK大河ドラマ「義経」が放映中の2005年6月5日、平清盛の長男平重盛の次男である平資盛役を演じた小泉孝太郎氏が下関を訪れた際の手形も設置されていた。

小泉孝太郎

小泉孝太郎
(2005年NHK大河ドラマ「義経」 平資盛役)
2005年6月5日来関
義経像・平知盛像の手形プレートより

来関時期は不明だが 「義経」 で安徳天皇の祖母時子役を演じた松坂慶子さんの手形もあった。他の手形より広めに開いた指をグイッと強めに押し付けた手形に、松坂さんの強い性格が見てとれた。

松坂慶子

源平壇之浦合戦の地 来訪記念
松坂慶子
(2005年NHK大河ドラマ「義経」 時子(二位尼)役)
義経像・平知盛像の手形プレートより
大河ドラマ「義経」においてこの像の平知盛を演じた阿部寛氏の手形が残っていないところを見ると下関には来ていない様だ。もし手形が残っていればドラマと違って源氏方を圧倒する巨大な手形が残るはずだったのに残念ではある。

安徳帝御入水之処

安徳帝御入水之処
 二位尼辞世
今ぞ知る
 みもすそ川の
御なかれ
 波の下にも
みやこありとは
      長門本平家物語
巌流島の決闘
この場所は安徳天皇が海に身を投げた場所でもあり、安徳帝御入水之処の石碑が立っていた。身を投げた年齢が満6歳でもあることから、人々の涙をさそう歴史上の悲劇である。

日本史の節目を刻む関門海峡

西へ東へと一日四回、その流れの向きをかえる関門海峡。せまい所では、両岸の幅は700メートルあまりで、潮流の速度は、最高で約10ノット(時速18キロ)にもなります。また、瀬戸内海の入口に位置する地理的条件がら、昔も今も交通の要衝で、日本の歴史の節目を刻む舞台ろなっています。
寿永4年(1185)3月24日、平知盛(とももり)を大将にした平家と、源義経ひきいる源氏がこの壇之浦を舞台に合戦をしました。当初は平家が優勢でしたが、潮の流れが西向きに変わり始めると源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められました。最後を覚悟した知盛が、その旨を一門に伝えると、二位の尼は当時数え8歳の安徳天皇を抱いて入水、知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡、日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移行していきました。なお、この戦いにおいて義経は平教経の攻撃を船から船へと飛び移ってかわし、いわゆる「八艘飛び」を見せたといわれています。
       下関市
源義経と平知盛像の前の解説プレートより転載