耳なし芳一堂


水天供養塔と背を向ける形で耳なし芳一堂はある。耳なし芳一堂の後ろに水天供養等が見える。堂内には押田政夫氏の芳一像が座している。

耳なし芳一堂は小さなお堂だが、赤間神宮随一の人気で参拝客も多い。

お賽銭箱の上には耳なし芳一の由来が書かれたパネルが置いてあった。知らぬものはない伝説だが、再確認の意味もあるのだろう。

耳なし芳一の由来

その昔 この阿弥陀寺 (現・赤間神宮) に芳一といへる琵琶法師あり
夜毎に平家の亡霊来り いづくともなく芳一を誘い出けるを ある夜番僧これを見あと追いければ やがて行く程に平家一門の墓前に端座し一心不乱に壇ノ浦の秘曲を弾奏す
あたりはと見れば数知れぬ鬼火の飛び往うあり その状芳一はこの世の人とも思えぬ凄惨な形相なり さすがの番僧唖然として和尚に告ぐれば一山たちまち驚き こは平家の怨霊芳一を誘いて八裂きにせんとするぞ とて自から芳一の顔手足に般若心経を書つけけるほどに 不思議やその夜半 亡霊の亦来りて芳一の名を呼べども答えず見れども姿なし
暗夜に見えたるは只両耳のみ 遂に取り去って何処ともなく消え失せにけるとぞ
是より人呼びて耳なし芳一とは謂うなり

この芳一像は日本木彫界の泰斗山崎朝雲翁第一の門下生である押田政夫氏(防府市出身) 畢生の作で昭和32年5月堂内に収め除幕奉納されたものです。
耳なし芳一の由来より転載


耳なし芳一の伝説については赤間神宮のパンフレットにある 「伝説 耳なし芳一」 が現代文で詳しく判りやすいので改めて転載しておく。

伝説 耳なし芳一

赤間ヶ関の阿弥陀寺(今の赤間神宮)に芳一名の盲人が住んでいました。琵琶法師としてあまりにも有名で、「妙技入神」 とたたえられていました。壇ノ浦の戦いで敗れて海に沈んだ平家の人々の亡霊も、是非この芳一の琵琶を聞きたいと或る夜ひそかにその姿を現しました。芳一は、呼ばれるまま誘われるままに手をひかれて行きますと、七曲り八曲りの廊下を辿り大広間に通されました。大勢の人達が威儀を正して座っているらしく、正面の御簾の中からは、『御苦労であった、壇ノ浦の合戦の物語を弾奏せよ』 と声が掛かりました。芳一が弾奏を始めると居並ぶ人々は涙を流し、夫人たちは嗚咽の声を抑えきれずにいる様子です。芳一は自分の琵琶に陶酔しつつ、琵琶を弾じ終えました。 『今日は実に満足した。又明日も明後日も、7日7夜の間は必ず弾じてくれ』 を頼まれ、手をひかれて寺へ帰りました。
こうして、毎夜外出することが続くので寺の僧たちの気の付く所となり 『どうも不思議だ、盲目の芳一が毎夜琵琶を抱えて出て行くが、一体何処へ行くのであろう・・・』 と、張り込みをして時の来るのを待ち、襖の陰からじっと息をひそめて見ていますと、誰もいないのに一言二言ものを云ったかと思うと、ついと出て行きました。僧たちがすぐに後を付けましたが、その姿を見失ってしまい、やむなく寺に引き返して参りますと、近くの森の中で琵琶の音がけたたましく聞こえるではありませんか。 『アレ、あんな所に芳一が・・・』 と、大急ぎで草を分けて駆け寄りますと、また驚きました。芳一が暗闇の中で、立ち並ぶ墓石の前に端座し、此の世の人とも思えぬ形相で懸命に琵琶を弾じていて、まわりには鬼火が揺れ、その凄惨なことはとても正視出来ません。僧たちは身の毛もよだつ思いがしました。恐る恐る近寄って呼び起こし、皆で抱えて阿弥陀寺へ連れて帰りました。
事の一部始終を聞くと、和尚は大層驚いて 「これは平家の亡霊がお前の入神の弾奏を聞くためにあの世へ連れて行こうとしているのだ。今宵は誰が来ても声を出さず、動かず、返事もするな。』 と固く申し渡し、芳一を裸にして身体中に般若心経を書き込み、 『さあ、これでお前は安全だ』 と云い置いて、法事に行ってしまわれました。
その夜のこと、芳一が端座していると、生ぬるい風と共に誰かがやって来た気配がしました。その足音がピタリと止まり、 「ハテ」 と思う内に 『芳一』 と呼びかけられました。危うく返事をしかけましたが、和尚さんお言葉を思い出し口をつぐんでいると、又も 『芳一!』 と呼びかけられました。しかし、今度も返事をしませんでした。声は、 『今宵は声もせず、姿も見えぬがハテ如何した事であろう。ああ、ここに耳だけがある。せめて是なりと持って帰ろう・・・』 をつぶやくと、氷の様な冷たい手が芳一の耳をつまんで、グイともぎ取り、いずれともなく立ち去りました。
さて、和尚さん、 『今日こそ芳一も無事であったろう』 を寺に帰ってきましたが、襖を開けて 『アッ』 と叫んだまましばらく呆然と立ちすくみました。芳一は血だらけで、両方の耳が無かったからです。
和尚さんは、芳一の全身に経分を書きながら耳だけ書き忘れたことをなげき悲しみました。しかし、命拾いしたことに皆が喜び、阿弥陀寺全山、法要を営み、平家一門の亡霊を弔いました。これ以降、芳一を 「耳なし法一」 と呼ぶようになったということです。
赤間神宮のパンフレットより転載


押田政夫氏の作になる耳なし芳一像。耳が無いのでアクセントの無い丸い可愛い顔で、平家の亡霊に耳を奪われた後、平家の亡霊を弔った後の穏やかな 「耳なし芳一」 を表現していると思われる。