みもすそ川公園


源平合戦で安徳天皇が入水された壇之浦に面している下関側一帯を下関市は都市公園として整備している。この古戦場跡は幕末の攘夷戦の舞台でもあり、五基の長州砲のレプリカを設置するなどして、観光面でも容易に歴史に触れられる様にした素晴らしい公園だ。

みもすそ川は御裳川と書くのだが、あまり一般的に知られた読み方でもないので、公園名は読みやすいようにひらがなで書かれている。


みもすそ川公園にある御裳川碑。何故か少し沈み気味の碑。

みもすそ川公園

平安時代末期、覇権をめぐって争っていた二大勢力、源氏と平家が、1185年ここ壇の浦で大規模な船合戦を展開しました。
この戦いに敗れた平家一門にまつわる多くの悲話が今もなお語りつがれています。
みもすそ川公園の案内板より転載
この案内板の上部には下関ではなく、何故か対岸門司の地図と観光案内が書かれていた。

馬関開港百年記念の碑が関門海峡を背に立っているのだが、長年潮風に打たれて非常に文字が判読しにくい。文字に着色した黒色が周囲に染み出して滲んだ習字のようだ。それでも頑張って判読してみた。

馬関開港百年記念

1863年6月25日(文久3・5・10)以来、長州藩は、この沿岸一帯に砲台を築き、海峡を通る外国艦船にしばしば砲撃を加えた。
これにより、翌年9月5日(元治元・8・5)17隻の艦船からなるイギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国連合艦隊は前田・壇之浦をはじめ下関一帯を砲撃した。
戦いは8日にいたって終り、14日 「止戦講和」 が成立 海峡通行の安全、馬関港出入の自由が約束された。
これは下関が海外に向って港を開くに至る第一歩であった。
流れ来たり、流れ去る早靹の急潮とともに、一世紀の、時が流れた。
今ここに当時を回想し、新たな思い出をもってこのゆかりの地に碑を建て永に記念する

昭和39年9月8日
馬関開港百年祭記念行事委員長
下関市長 木下友敬
馬関開港百年記念の碑より転載


みもすそ川の姿は現在は無く、壇の浦にも流れ込んではいない。かつてみもすそ川があった場所には御裳川橋と名付けられた橋の欄干のみが設置されている。
まだ出来て間もないようでこの先は工事中だった。整備された暁には再び訪れる機会もあると思う。


この先は公園整備中で立ち入り禁止。

壇の浦古戦場跡



安徳天皇縁起絵図
赤間神社所蔵
第7巻(壇の浦合戦)
長門の国壇之浦の舟いくさが前面に描かれている。源氏をあざむく為の大きな唐船には、帝は御乗りにならず多くの兵士が待ちかまえている。


第8巻(安徳天皇御入水)
寿永4年3月24日、源氏平家の最後の戦が描かれ、画面中央が安徳天皇御座舟、能登守教経に追われて、逃げる義経の八艘飛び、建礼門院の入水等々こまやかに画かれている。

平成16年12月吉日 下関市長 江島潔
壇の浦古戦場跡碑より転載


みもすそ川公園を御裳川橋越しに工事中の側から眺めてみた。みもすそ川公園は壇の浦に面した、景色の良い見所も多い公園なので観光スポットとしてはお勧めの場所である。

下関港海岸(長府・壇ノ浦地区)一時開放のご案内

みもすそ川公園区域は、平成21年度より高潮対策事業として海岸保全施設の整備に取り組んできました。平成24年度末には一部の施設が概成(がいせい)しました。進捗状況をご理解いただくため、一時開放いたします。
開放期間 平成25年4月1日~平成26年3月31日(予定)
国土交通省 九州地方整備局 下関港湾事務所
下関港海岸(長府・壇ノ浦地区)一時開放のご案内より転載
工事中の柵の近くに不思議な案内が掲示してあった。工事中の場所を一部は完成したので、一年間だけ開放するというもの。進捗状況を理解してもらいたいだけなのなら、2,3日でも良さそうなものだが1年間とは!?