亀山八幡宮


唐戸市場の国道9号線をはさんだ山側に関の氏神 亀山八幡宮がある。石の鳥居は国道9号線の傍らにあるが八幡宮は石段を登ったところにある。

昭和8年に建立されたこの鳥居は御影石で出来ていて、御影石の鳥居としては日本最大だという。高さ12.7m、横15.5mあり、畳3畳分の大きさの巨大額には 「亀山宮」 と書かれ掲げられている。

駐車場の前に亀山八幡宮の案内板が立っていて、案内図とともに、この亀山八幡宮の場所そのものが、かつては島であった事が記されていた。

亀山八幡宮境内ご案内

関の氏神 亀山八幡宮ご由緒
当宮の御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐこうごう)、仁徳天皇(にんとくてんのう)です。
平安時代貞観(じょうがん)元年(859年)神託により国王が宮殿を造営し、以来、朝廷、大内、毛利藩主の崇敬が厚く、下関60ヶ町の氏神として奉斎(ほうさい)されています。
神社地は昔は島でした。関門海峡から九州連峯を眺める景勝の境内は、古くから鎮西(ちんぜい)第一勝(だいいっしょう)の地と称されています。 (別表神社)

節分祭 2月2日 鬼の舞 豆まき式 玉替 凧あげ大会
五穀祭 5月2-3日 八丁浜踊り 柔道大会 剣道大会 子供すもう大会
夏超祭 7月29-30日 茅の輪くぐり 御輿海上渡御(みこしかいじょうとぎょ) 花火大会 福引大会
例大祭 10月13-15日 御神幸 献茶式 献魚式 亀山能 子供すもう大会
大祓式(おヽはらいしき) 12月30日
未明神楽 毎朝5時(冬季6時)
日供祭(にっくさい) 毎朝8時
月次祭(つきなみさい) 毎月1日・15日午前8時
亀山八幡宮境内ご案内パネルより転載


亀山八幡宮境内ご案内案内パネルの隣りに山口県が生んだ天才詩人金子みすゞの詩碑があった。

金子みすゞ詞の小路



お宮の池の
丹頂の鶴よ。

おまへが見れば、
世界ぢゆうのものは、
何もかも、網の目が
ついてゐよう。

あんなに晴れたお空にも、
ちひさな私のお顔にも。

お宮の池の
丹頂の鶴が、
網のなかで静かに
羽をうつときに。

一山むかうを
お汽車がいった。

「金子みすゞ全集」 (JULA出版局)より

三好写真館跡
金子みすゞは、亡くなる前日の1930年(昭和5)年3月9日、亀山八幡宮参道そばの、この場所にあった三好写真館で、最後の写真を撮りました。そのときの心情は、想像にあまりあります。
みすゞの詞には、亀山八幡宮にかかわるものも多く、親しみ深い地にあった写真館を選んでのことでしょうか・・・

詞の解説
当時、亀山八幡宮の亀の池に、一羽の鶴が舞いおり共に住みつきました。そこで、外敵から命を守るために金網が張られました。みすゞはその様子を詞ったのでしょう。


金子みすゞ詞の小路パネルより転載
この写真は良く見る写真だが、わずか満26歳で亡くなる日の前日に撮影されたものとは知らなかった。


亀山八幡宮のまん前が唐戸市場。それにしても休日のこのあたりは車が多い。


亀山八幡宮社殿。
平安時代貞観元年(859)、八幡神が大分・宇佐神宮から京都・岩清水八幡宮に勧請される途次、当時島だった亀山の麓に船を繋がれた。
その夜、「此の山清浄なり、しばらく祭祀し奉りて路を進むべし」 との神託により、勅使は国王に命じて宮殿を造営された。
以来、朝廷・大内・毛利藩主の崇敬厚く、下関60ヶ町の氏神、「関の氏神」 として奉斎されている。「亀山八幡宮略記 より」


亀山八幡宮境内には以下4つの境内社がある。
宮地獄神社 御祭神 息長足比売命・勝村大神・勝頼大神
熊鷹稲荷神社 御祭神 倉稲魂命
恵比寿神社 御祭神 東代主神
お亀明神社 御祭神 お亀明神