境内の中央に九州最北端 参拝記念 と書かれた絵馬型の記念写真用パネルがあった。大晦日の深夜干潮時にわかめを採って神前に供える神事の様子のパネルは顔を出す穴が3つあって、最高3人まで撮影できる。3人とも烏帽子(えぼし)をかぶっているため、顔のみで頭部分は隠れるのが遊園地などにあるパネルとは違う特徴か?
ワカメの先端がイタズラか削られて燃え上がっているように見えるが、採ったばかりの濡れたワカメが燃え上がるはずも無い。
ありがたそうな岩にしめ縄が付けられて境内に鎮座していた。
阿吽の狛犬に解説があったので記しておく事にする。
狛犬(阿形)
美ちびき生活の友処世訓
一、人の生活は名月の如し穏やかで明らかになさねば不幸あり。
一、一切の人は神仏を信頼せよ。
一、一家の主婦は生ます力を生む力の主権者なり
良き事を生ますも悪き事を生ますも主婦の心がけに依るところが多い
大臣とて主婦の子供なり
神仏も元は主婦が生んだ子供たらん。
一、人は他人の幸を我が喜びとなし且つ自己も努力せよ。
美ちびき生活の友教祖
昭和二十九年初秋 岡田憲明謹言
和布刈神社の狛犬の台座より転載
狛犬(吽形)
美ちびき生活の友処世訓
神仰は自己の徳を招く
神即ち自己の精心なり
世は鏡なり善を施せば
善のむくい有り
一、人の一生は自己の表現にあり。
一、自己は神仏の表現である。
一、人生は難行也業を積めば幸せなり。
一、真心を以って道を求めよ。
美ちびき生活の友教祖
昭和二十九年初秋 岡田憲明謹言
和布刈神社の狛犬の台座より転載
和布刈神社(めかりじんじゃ)様子。潮風の攻撃にも耐えて思いのほか綺麗な様子に一安心。拝殿横に由緒の解説板と立て札が立っているので転載しておこう。
和布刈神社
九州最北端に位置するこの神社は、社記によると、仲哀天皇九年に比賣大神(ひめのおおかみ)、日子穂々手見命(ひこほほてみのみこと)、鵜茅葺不合命(うかやぶきあえずのみこと)、豊玉日賣命(とよたまひめのみこと)、阿曇磯良神(あずみいそらのかみ)の五柱の神を祭神として創建され、江戸時代までは、速人(はやと)社とか隼人(はやと)社と呼ばれていました。
近世末までは、時の領主である大内氏、毛利氏、細川氏、小笠原氏の崇敬庇護暑く、神殿前には細川忠興公が寄進した灯篭がありますl。
この神社には古くから和布刈神事が伝えられていますが、李部王記によれば、和銅三年(七一〇)に和布刈神事のわかめを朝廷に献上したとの記録があり、奈良時代から行われていたものです。
神事は、毎年旧暦大晦日の深夜から元旦にかけても干潮時に行われます。三人の神職がそれぞれ松明(たいまつ)、手桶、鎌を持って海に入り、わかめ刈り採って、神前に供えます。
わかめは、万物に先んじて、芽を出し自然に繁殖するため、幸福を招くといわれ、新年の矛祝行事として昔から重んじられてきたものです。
神事のうち、わかめを採る行事は、県の無形民族文化財に、また、当神社に伝存する中世文書九通は、市の有形文化財に指定されています。
北九州市 北九州教育委員会
和布刈神社解説板より転載
謡曲「和布刈」 と和布神事
ここ和布刈神社では、毎年十二月晦日寅の刻(午前四時)に神社が海中に入って水底の和布を刈り、神前に供える神事がある。
今日はその当日なので、神職の者がその用意をしていると、魚翁(竜神)と海士女(天女)とが神前に参り「海底の波風の荒い時でも、和布刈の御神事の時には竜神が平坦な海路をお作りなさるから出来たのである」 と神徳をたたえて立ち去った。
やがて竜女が現れて舞い、沖から竜神も現れて波を退け、海底は平穏になった。
神主が海に入って和布を刈り終わると波は元の如くになり、竜神は竜宮に飛んで入る。
神前へ御供えの後最も早い方法で朝廷へ奉じられた。史実に現れたのが元明天皇和銅三年ですので、それ以前神社創建時より御供えとして用うる為神事が行われていたと思われます。
謡曲史跡保存会
和布刈神社立て札より転載
和布刈神社の直ぐ先に早鞆稲荷の小さな鳥居がある。10本の鳥居をくぐって石段を登ると早鞆稲荷がある。
早鞆稲荷の社前には2匹のオキツネ様が鎮座していて、私達を出迎えてくれる奥に並んでいるのは恵美須社。
ワカメ刈りの珍しい神事がある九州最北端の神社、和布刈神社をざっと見て回ったので関門トンネルに入るため再び出発する事にする。