鎌倉と江之島手引草
明治三十年五月 印刷
同五月 発行
東京市芝区田村町七番地平民
編集兼発行印刷者 霧島晴
同市浅草区茅町二丁目三番地
印刷所 精行社
神奈川県鎌倉字長谷五百五十番地
専売所 矢野主水
同鎌倉町雪下ノ八幡前通り
大売別 大石平左衛門
全30ページ中、江の島に関連した部分4ページ分を掲載
七里ヶ浜
稲村ヶ崎より腰越に至る42丁の海岸を云六丁をもって一里となす ゆえこの名あり 富士山箱根その他の遠山を右後ろに控えて江の島は手に取るごとく見ゆ 雲波の間に伊豆八丈島を眺望す絶景なり この辺音無し川 行合川 行合橋あり 日蓮上人の旧跡を云ここ古戦場なり 腰越村に至る小動(こゆるぎ)という島あり 龍護山満福寺と云あり 行基菩薩の開基にして元暦二年義経東上の時の旅館なり 有名の腰越状は当寺に有 即(すなわち)義経が弁慶に命じて書きしたる物なり その他寺宝多し 当寺より五丁ばかりにして龍行寺に至る同寺は寂光山を号し文永八年日蓮上人龍ノ口法難の古跡なり 本堂諸堂荘巌美を極む寺宝数多し 境内に龍行明神の祠(ほこら)あり 是より十町江之島に到なり
江之島
金亀山と号し役の小角の開闢する所にして全島周囲三十余町 人戸二百土地高潔にして四時の眺望に富み真夏の頃も蚊(か)虻(あぶ)の憂いなく実に仙境に遊ぶ思いあらしむ 今全島の名勝を案内せん表より岩屋まで十一丁ばかりなり 華表を入り茶屋町を進めは無熱池、福石、蝦蟇石あり 石階を登れば下ノ宮社前に出つ辺津宮と称す 建永元年慈悲上人の開基にして源実朝の建立にかかる祭神(さいじん)多岐津姫命(たきつひめ)は弘法大師の作社傍らに古碑あり 左手右段を下り金亀楼の前を進み亦石段を登れば上の宮に至る中津宮と称す 仁寿三年慈覚大師創造也 祭る所市岐島姫命(いちきしまひめのみこと)慈覚(じかく)の作なり これより三丁進めば一遍上人の古跡の井戸あり 前面凹地を山二つと云 直進三丁許登れば奥津宮なり 祭神(まつりがみ)多岐理姫命(たきりひめのみこと)社前左手を進み数十石段を降り傍らに龍燈松稚児が淵古跡なり なお下りて岩屋に達す 左は岸壁にして右手蒼濤洗厓(あをきなみいまおあちひ)す 龍窟(いわや)は南向にて広さ二丈余深さ七十余間余 中辺より岐(ふたまた)して穴二をなる胎臓界金剛界(たいぞうかいこんがうかい)の名有り 又窟中名勝多し 見物終われば元来し道を上下して江之島小学校より茶屋町をすぎ海辺銅鳥居迄戻り東手に入れば是漁師町なり 海中色々名ある岩多し 旅館は恵比寿屋、岩本楼、金亀楼、讃岐屋を最上とす 江戸屋、堺屋、北村屋之に次ぐ 名物は鮮魚貝と貝細工物多し 江之島案内終われば片瀬村を経て藤沢停車場に至るを順路とす 里程五十町なり 人力車亦は川舟の便(たより)あり 以上鎌倉江之島案内終わる