稲瀬川で五人の盗賊が勢ぞろいして啖呵を切る場面。
科白(せりふ)さてその次は江の島の、岩本院の稚児あがり、ふだん着馴れし振袖も髷(まげ)も島田に由比が浜、打ち込む浪にしっぽりと、女に化けたつつもたせ、油断のならぬ小娘も、小袋坂に身の破れ、悪い浮き名も竜の口、土の牢へも二度三度、だんだん越える鳥居数、八幡さまの氏子にて、鎌倉無宿と肩書きも島に育ってその名さえ、弁天小僧菊之助
物語とはいえ、自分の所の稚児を盗賊にされた岩本院は複雑な面持ちだろうが、弁天小僧が岩本院の稚児上がりというのは「白浪五人男」が書かれた100年以上前の延享4年(1747)ころに芝居にも登場する日本駄右衛門(にっぽんだえもん)という大泥棒が遠州見付の町外れで、一味共々獄門にかけられた話と岩本院では給仕を稚児が担当していたのを抜群の創作力で結びつけたものと思われる。
一口豆知識
獄門:江戸時代に行われた死刑の一つ。通常の死罪より重い罪で首を獄門台や刑場の門にさらしものにして見せしめとしたもの。
もっと重い死刑は火あぶりの刑であり、一番重いのが磔(はりつけ)で槍で聴衆の面前で突かれるもの。
岩本院の談話:
イヤー参っちゃうなー。ここの稚児が皆泥棒に思われちゃったらどうすんだよ。昔は僧侶に言い寄られて身投げ事件も起こしているしなァ。でもカッコ良く出来てるし、宿の宣伝になるからマ良いか?今や、コマーシャルの時代だもんねー。
江戸の市村座とか中村座とかでジャンジャン公演してくれたらここのお客さんも増えるかもね。燈篭も江の島にもらっちゃったしな・・・・
(中津宮前に市村座と中村座が江の島信仰のお礼として建てた燈篭が実在)
徳川幕府15代全将軍