
1016.ENOSHIMA
この写真には渡しに使う馬が写っている。
江の島では桟橋が出来るまでは馬や牛にお客を乗せて
負越賃を取って運んでいた。
写真では島が繋がっているため馬も所在なさそうである。

123A ENOSHIM ISLAND
片瀬川の河口は西へ折れ曲がっている。
砂浜の河口は常に一定ではない。
漁師が運んでいるのはマキであろうか。

江之島 B162 Yenoshima 20
片瀬から見た江の島。
人馬と手前は旅人風の人物。
集団で固まっている人と小屋は
負越の人々と客と思われる。

L25 ENOSHIMA
随分陸に船を上げたものだと思うが
何しろここは江の島。
満潮時にはここが波打ち際なのだ。
大きな荷を持った人物は島に物品を運ぶところであろう。

KATASE near YENOSHIMA A Japanese Hotel.
付属の英文では江の島近くにある片瀬の旅館となるのだが、
右下にある鳥居が江の島の青銅の鳥居のようでもある。
しかし、だとすると旅館は恵比寿屋となり鳥居左横の絵図屋が見当たらない。
これは、やはり片瀬である。
かつては藤沢から江の島まで多くの鳥居があったのでその一つであろう。

47 YENOSHIMA
これは、江の島の青銅の鳥居。
右の建物から珍しそうに顔を出す少年達。
明治初期の写真と思われる。

1011,STREET IN ENOSHIMA
上の写真と建物も石垣も同じであり
時期的には殆ど一緒。
この鳥居のすぐ前は海である。

1010.STREET IN ENOSHIMA.
この写真は恐らく津波に教われて間も無い時のものだろう。
崩れた石垣。一部が破壊された建物。
青銅の鳥居も土台を補強した後が見える。
鳥居の前の小船は鳥居の目の前が砂浜であることを示す。

D 15 CHIGOGAFUCHI,ENOSHIMA
稚児が淵の様子。
恐らく夏なのだろう。
白い浴衣と日傘を持つ女性の姿。
景色は今とあまり変わらない。

A 287 STREET OF ENOSHIMA.
上の鳥居の写真と比べると決定的に違うのは
石垣の高さが明らかに低いことである。
鳥居の土台を見るとどうもこの写真が
鳥居の写真では一番古いものではないだろうか。

1101 CAVE AT ENOSHIMA
第一岩屋の入り口の写真。
関東大震災で一帯が隆起するまでは
この写真の様に海水が岩屋に入り口まで来ていた。
竹と木で組んだ簡単な橋に乗った人々が見えます。
そんなに乗って大丈夫でしょうか?

L28 ENOSHIMA,CAVE(B)
第一岩屋の中からの写真。
今は、下部をコンクリートで埋めてしまったので
この風景はもう見れない。