歴史の中の岩本楼
岩本楼は現在は旅館業を営んでいるが、明治維新の神仏分離令以前は岩本院と称し江の島の寺社を支配する惣別当であった。江戸時代以前、室町時代には岩本坊と称していた。
明治維新以前、江の島には岩屋本宮・上之宮・下之宮の三宮があり岩屋本宮(中之坊)には岩本坊、上之宮には上之坊、下之宮には下之坊とそれぞれ別当寺があってそれぞれの別当が宮を管理していた。岩本坊は三坊の頂点にあり唯一院号の使用を許可され岩本院と称して江の島全山の惣別当をつとめていた。
上之宮は現在の中津宮、下之宮は辺津宮である。本宮は岩屋で現在の奥津宮は本宮御旅所と呼ばれ岩屋本宮の管理下にあった。
江の島では寺の僧は神社の神主も兼ねていて圧倒的に仏教的色彩が強く神社は中津宮や奥津宮の建物を見れば判るとおり非常に小規模であった。
明治維新の神仏分離令によって江の島の坊主達は還俗して皆神主になってしまった。江の島だけではなく全国的にこれまでの仏教、寺の支配への民衆の反発は強く廃仏毀釈により多くの建物や仏像、文化財が破壊されてしまう。
それ以降江の島には仏教的色彩は皆無であったが、平成5年に江の島大師が再建され仏教的色彩も戻ってきたのである。
岩本院は江戸時代には江の島での宿泊、みやげ物、開帳等の権利を持ち、将軍・大名の宿泊所としても栄えていた。
岩本院には八臂弁財天像と江嶋弁財天の由来を比叡山延暦寺僧の皇慶(977~1049)が永承2年(1047)に記した「江嶋縁起」の写本が今に伝わり「天女と五頭龍伝説」が記されています。明治元年の神仏分離令以降「岩本楼」と名を変え江の島の由緒ある宿泊所として全国的に広く知られています。
岩本楼は江の島の西浦に面し正面に富士山が見える絶好の景観を持っている。富士の前面にはエボシ岩もあり浮世絵のような眺望も楽しみです。
岩本楼ホームページ
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
明治維新の神仏分離令により、全国的におこなわれた寺院、仏像、仏具などの破壊活動。明治政府の目的は、神社から仏教的要素を一掃し、全国の神社を直接の支配下において、国家神道政策を進める事にあった。