江の島心中


明治の三面記事

江の島ハズレの住人A氏は朝、顔を洗おうとして金だらいが無くなっているのに気づく。
探した所、怪しい男が金だらいを持って逃げるのを発見。
待てと追いかけると男は金だらいを持って江の島の岩穴に逃げ込んだ。
追い込むと金だらいで顔を隠して震えている。何だこりゃ。
その内、近くで女性の土座衛門が上がる。
人が集まり始め大騒ぎになった。「お前、片割れだな。」
小船が1艘無くなっているので、船で沖に出て
飛び込んだものの男は生き残ったらしい。
皆の非難は一斉に男に集中。「何故、生き残った」「一緒に死んでやれ」
「馬鹿野郎。何故死ななかった」
あまりの罵声に警官が顔に手ぬぐいをかぶせてやった。

江の島は回りが崖になっていて飛び込みやすいので竜野ヶ丘を心中場と呼んだ事もあるそうだ。
今は高層ビルがあるので江の島まで来なくても良いのでしょうが名誉な事ではありません。

心中といえば有名な稚児ヶ淵の伝説
昔、鎌倉建長寺の僧、自休蔵王は岩本院の稚児白菊を恋し
白菊は窮して身をこの深淵に投じて死んだ。その時、白菊が投身に先立って渡し守に託した扇面に
「白菊のしのぶの里の人とはば、思い入江の島とこたえよ/うきことを思い入江の島かげに すつる命は波の下草」
とあった。
自休は悲しみのあまり「白菊の花のなさけの深き海に ともに入江の島ぞうれしき」
と詠んで、後を追ったというのである。
ちなみに、ここで登場する「白菊」は稚児すなわち男性である。
実際に大正の初期までは稚児ヶ淵に白菊の墓がありました。


昭和に入って太宰治の袖ヶ浦心中ってのもありましたね。
もっともこれは島内ではなく対岸の小動岬でカフェの女給と睡眠薬を飲んで心中を図り太宰のみ助かったというものでしたが、当時太宰は東大の1年生であり父も貴族院議員とくれば色々な憶測が飛び交います。
現在でも、太宰は殆ど薬を飲んでいなかったとする説や殺人説まで飛び出して真相は解りません。後に、彼はこの事を題材に「道化の花」を書くのですがこの内容はあくまで小説であり本当のところは今となっては不明です。

江の島ハズレの住人A氏の談話:

もういいかげんにしてくれよ。死ぬのは勝手だけど江の島に来て死ぬこたー無いだろ。船も1艘無くなっちゃったし。ここで死ぬと死んでから酷い目に会うっての知らねーな。バカヤロー、弁天様に言いつけちゃうもんね。