鎌倉江の島地理歴史5


面白くてためになる
小学生読み物

大正六年十二月一日印刷
大正六年十二月十日発行

鎌倉江の島地理歴史
山田史郎著
東京 広文堂書店発行


(8)帰り

一行は三時半の汽車で藤沢を立つ。揺られながら昨日からの事を考えると、何だか一年も旅行して歩いたような気分で、頼朝の墓やら、七里ヶ浜の風景やらいろいろさまざまな物事が目の前に浮かぶ。建長寺の後ろの山から見下ろした鎌倉の全景が急に目の前にのべられるか思うと、江の島の洞窟の中を手探りで腹ばって行くような気もする。松の姿、波のうねり、岩の形、貝細工屋の店なども思い出の種となって来る。たとい一日二日の短い旅でも、旅はなかなか面白いもの、有益なものだ。可愛い子には旅をさせろというが、お父さんやお母さんは、俺が江の島の岩から転げ落ちて怪我でもしたのではあるまいかなどと、心配しているのではあるまいか。総じて心配というものは良いことでなくて、悪いことばかりなのである。つまらぬ心配されるのは有り難迷惑だが、そこが世の親心だ。早く帰って無事な顔を見せたらきっと喜んで下さるだろう。それにつけても杢次郎君が濡れ鼠になったことは語るまい。語ればすぐ世間に漏れる。杢次郎くんは叱られる。フト見れば杢次郎君はぬからぬ顔で何か食っている。よく物を食べる男だ。握り飯を食っているものが随分いる。俺も思い出したようにカバンの中から握り飯を出して食う。竹の皮包みのおかずは何かと開いて見るとこれはこれは昼飯と同じくまた梅干と塩しゃけだ。おいらは先ず当分塩しゃけより甘いものを食うことの出来ぬ身分かしらと考える。今朝。由比ヶ浜の松林の中で見た猿の生まれ変わりを連想した。ああいう男、別荘などを持って朝の散歩などと洒落ている人間は一体何を食べているのだろうを考えた。いま、人間は食物のことを考えるのは下劣だ。俺は朝早く起きて散歩などせぬ代わり、野に行って草刈をする。山のように背負って帰ると、腹がへとへとになっているので、沢庵漬けと味噌汁だけの朝飯が咽喉をを駆け足して通っていく。人間は贅沢しようとお考えるのは大間違いだ。何でも家業大事を真面目にせっせと働いて行くべきものだ。何だ、俺は自分で自分に説教していたのに気付いて、昼飯とも夕飯ともつかぬもの握り飯を急いで食ってしまう。

もう大船に着いた。だんだん家の方に近くなる。世の中で何処が一番いいと言っても、自分の家ほど懐かしい、恋しいものはない。たとえ雨の漏るあばら家でもそれが自分の家となればそれほど懐かしいものはないのだ。時に先生はポケットから手帳を取り出して開き見ながら、
「この大船から東の方一里ばかりの所に園宗寺という寺がある。そこに男瀧と女瀧があって夏の頃見物がてら涼みに行く人が多い。また此処から鎌倉の方へ約20町行ったところに田谷の穴をいうのがある。穴は長さ三町、上下左右にうねうねと長い蛇のように曲がりくねっている。穴に入ると、熱い夏でさえなお寒く、ロウソクを灯してよく見ると、両側の壁にも天井にも仏像・花器・鳥獣など、いろいろの彫り物があるということだ。が、あまり人には知られていない。」
と、教える。先生は何でも良く知っている。どうして調べるのか、出来ることなら俺も物知りになりたいものだ。
汽車は林の中を進んで行く、汽車が走って行くのに、林が走り、藪が走り、人家が走り、丘陵が走り、雲が走り、道路が走り、人が走り、畑が走るように見える。目に見えるものは何でもかんでも皆走り走って、さっさと後ろの方に消えてしまう。一行38人の頭の中の考えはそれぞれ違う。何を考え何を思っているのか、ものより判らないが、汽車はその異なれるいろいろさまざまの思いを乗せて、絶え間なく進んでゆく。早く東京に着けば良い。電燈やガスの光がまばゆくて丁度昼のような夜の東京を見て、家に帰るのはかれこれ七時近かろう。弟はきっと門口に立って俺の帰るのを待っているであろう。

鎌倉江の島の地理歴史(終)

付録 三浦半島巡り

省略