鎌倉江の島地理歴史3
面白くてためになる
小学生読み物
大正六年十二月一日印刷
大正六年十二月十日発行
鎌倉江の島地理歴史
山田史郎著
東京 広文堂書店発行
(6)江の島見物
まだ9時頃だが、朝早くから歩いたので、もう腹が減った。しかしまだ12時間は我慢される。鎌倉にも随分見物人が入り込んでいたが、江の島もやはり人ごみだ。今電車から145人も降りた。電車の線路を踏み切って砂山を一つ越えると、すぐ目の覚めるような江の島だ。江の島は竹生島(ちくぶじま)、厳島と合わせて日本三弁天の一つである。砂州に下りたって数多の漁師が地引網を引いているのを見る。二十間ばかり向こうの海の中には漁夫が3,4人裸になって網の太い綱につかまって、陸へ陸へと引っ張ってくる。陸ではその網の先をエンヤラエンヤラと掛け声で引っ張っているが、なかなか引きあがりそうでもない。一同は長い桟橋を渡って島に着く。干潮の時は砂州伝いに島に行けるそうだが、あいにく潮が満ちている。島の北端の鳥居をくぐり抜けるにつれて道がだんだん坂になっていく。その両側は旅館・料理屋・商店が櫛の歯のように軒を連ねている。商店はいずれも名産の美しい貝細工を並べている。江の島神社は辺津宮、中津宮、奥津宮の三社に別れている。辺津宮は人家のつきる所にあって、その境内は眺望に富んでいる。中津から奥津に行く途中で、一遍上人成就の水というものを見る。山と山の絶壁が底深く狭められ、その間に怒れる波と狂える波が互いに噛みあって、ブツブツと白い泡を立てている。恐ろしいけれども、なかなか面白い。奥津宮の傍らにサザエの壷焼きを売っている。店の傍らにサザエの殻が山のように積まれているのを見ると、ここに来た人は誰でも壷焼きを食べていったものと想像しても大した問題はあるまい。
「どうだ、甘いか。」
「甘いよ。」
と、こんな話をしている者がある。随分気の早い連中だ。一人食べ二人食べて、われもわれもと後から注文するので、なかなかサザエにありつけない。番が回ってきて2銭銅貨一枚と引き換えにサザエの壷焼きというものを受け取った。ふたをあけて肉を引き出すと、丁度タニシのようなものだ。あまり態(ざま)のいいものでない。一口噛んでみると、まだよく火が通らないと見えて、生臭いやら磯臭いやら。それでも目を閉じて、俺の口には合わない代物だ。傍らの松の幹に背を当てて眺めると、伊豆の山々が青い海を隔てて見える。早速写生帳を取り出して写生する。これまでも随分写生したが、いずれも天下の勝景として長く俺の頭に残るのだ。
奥津の宮を西に岩の細道を下ると、稚児が淵に出る。稚児が淵には伝説がある。昔建長寺に自休という淫らな僧があって、岩本院の稚児白菊に思いをかけた。白菊はそれを非常に嫌に重い、終にこの淵に身を沈めて死んでしまった。その時白菊は
しら菊と忍ぶの里の人間はヾおもひ入江のしまと答えよ
憂きことを思い入江の島かげに捨つる命は波の下草
という歌をのこしたということだ。
稚児が淵から一すじの細い道が奇岩怪石の間に通じ、その先が桟橋になっている。逆巻いて打ち付ける波にゆらゆらする桟橋を渡り、波の飛沫に着物を濡らしながら向こう岸に着く。ここは俗に言う巌窟すなわち龍窟であって、その入り口がおよそ方一丈ばかりある中を覗くと、2,3間先の方が真っ暗だ。案内人が真っ先に立ち、先生が第2番、俺が第3番、その後ろから一同が一列になって続いてくる。洞は次第々々に狭くなり低くなり、人の声、足の音が洞の中に反響してすこぶる物凄い。途中でロウソクをつけ腰をかがめて手探りに進んで行く。暗さが進むにつれてだんだん増して来て、薄気味の悪いことおびただしい。かれこれ1町も来たかと思う頃、細い道が胎臓谷、金剛谷の2つに分かれてまた一つになる。行き止まりの奥に大日如来を安置してある。もしこれから先の小さい穴を無理に進んで行くと、一つは富士山の人穴に出て、一つは月山の峰に出ると案内者が空々しいことを真顔で言う。
岩窟を出て、島の西端のまな板岩に上る。扁平な岩だ。この辺は大きな平らな岩ばかりで海水がその上に2,3寸しか浸していない。岩の凹(くぼ)いところを見るとイソギンチャクが髭のようなものを波にゆらゆらさせている。捕ってやろうと手を入れると、ギュッとその口を閉じて堅く岩にへばり付いて動かない。岩の上を飛び歩く者、写生している者、海の中の岩の上に立っている者、景色を眺めている者など、三々五々に分かれて思い思いに遊んでいる。俺は危ないそうな岩の一角に腰をかけて、果てしの無い大海の波のうねりを見ている。大波小波がうねりうねって来て、却下の岩にドッと砕けて飛まつがパッと顔に散る。実に壮快、痛快の至りだ。昔、ロシア皇帝ペテロが「我が望む所は陸にあらず、ただ水あるのみ。」と豪語したそうだが、彼は海に巨艦を浮かべて世界の頭(かしら)になろうとしたのだ。ああ水なるかな、海なるかなだ。俺の足先を濡らした一滴の水も或いはロンドン橋の下を潜って来たものかも知れないと思うと、何だかロンドンがすぐそこのように思われて懐かしい。生きているうちにこの壮快極まる海を越えて遠く外国にいって見たいものだ。何とかいう人が、
「俺が死んだら決して地の中に埋めてはならぬ。火葬にしてその白骨を瓶に入れ、それを海に投げろ。俺は貧乏で、生きているうちに外国に行けなかった。それが終生の恨事だから、死んで外国見物に行くのだ。」
と遺言して死んだそうである。が、俺はぜひ生きているうちに外国に行ってみたいなどと、20年後のことを想像している。空想ではない。20年後の34,5才の頃には外国に行って、一つ男らしい仕事をやって見なければならぬ。ふと後ろを振り向くと一同は列を作って、危なさそうな岩伝いに何処かに行く所だ。鬼界が島の俊寛ではあるまいし、ここに俺が一人取り残されては全くたまったものではない。あたふた驚いてその後を追いかけていく。波打ち際の巌を切り崩して足場を作り、鉄の鎖を下げてある危ない道を左へ左へと辿って、およそ1町ばかり行く。道の尽きた岩陰はちょっと広々としている。そのに漁師がふんどし一つになっている。骨格のたくましい体が日に焼け潮に染まって、その皮膚が赤銅色している。椰子の葉陰に住むというインドの土人のような荒くれ男が、
「アワビを取らしておくんな。」
と、太いどら声を立てながら一同の中に分け入ってくる。先生は、
「取っておくれ。」
といいながら十銭銅貨を一枚出す。漁師はそれを受け取って相手の者に渡すや否や、のこのこと岩の鼻に上りこそからまっ逆さまにザ文と怒涛の中に飛び込んだ。水煙がパッと立った後を見ると、向こうからむくむくをやって来た波が岩に付き当たって逆巻く飛沫が雨のようにザアザアと降る。漁師は怒り立つ波にすいこまれたのではあるまいかと思いながら見ていると、波をかき分けてヌーと顔を出す。岩に手をかけて這い上がってきて、アワビを先生に渡す。
「旦那。これは十銭では安いんで・・・・・。この頃はアワビが少なくなって、なかなか見つかりませんよ。もう一つ取らせておくんな。」
「一つとっておくれ。」
「僕にも一つ。」
「じゃ僕も取ってもらおう。」
と5人ばかり注文する。2人の漁師はにこにこしながら、煙草をすぱすぱ吸っている。
「今すぐ取ってきますからちょっと待っておくんな。」
と、雁首の大きいキセルを岩の上にガチリと打ちつけて吸殻を取っている。やがて一人の漁師は岩の上から身を躍らせて飛び込む。一人は岩を下り両手を伸べ合わせて波の中にすうっと潜り込んだ。3分と経たない中に、漁師は前後して浮かび出て這い上がって来た。一人は三つ、一人は二つ、合わせて注文通り五つ取ってきた。アワビの大きさは何れも同じくらいで図抜けて大きいものもなければ、馬鹿に小さいのもない。
また鉄の鎖にすがりながら危ない道を通り抜けて、広い岩の上に出る。ここで昼飯を食べる。今後島の上で飯を食うことは滅多にあるまい。鶏のようにあちらを見て一口食い、こちらを見て一口パクリ、あたりの景色を見ながら食べる。甘い。実に上手い。いつも昼飯の時には、
「わき見をしながら食べるんじゃない。」
と教室で叱り付ける先生も、今日だけは少しも叱らない。ご飯はこういう風に愉快に食うものだ。しばらくして先生がアワビを出しながら、
「これはね、チャンと海の中に仕掛けがあって、アワビを沢山取りためておき、それを十銭のアワビ、十五銭のアワビ、二十銭のアワビと分けてあるのだそうだ。だから十銭やると、それに相応したものをつかんで浮かび上がってくるのだ。」
と言った。一同は相かえりみて、
「何だ。バカバカしい。」
と言う。しかし全くその通りだろう。あの岩陰にばかりアワビがいるはずのものでもなし、それにあんなに早く取れるものでもあるまい。何だ、人を馬鹿にしているなと思ったが、あれも商売だから仕方がない。何でも世の中は経験が大事だ。僅か十銭でアワビ取りの実景を見て、生きのいいアワビを貰ったのだから安いものだ。いい話の種だ。食べた後の殻には釣りしのぶでも植えて軒に吊るしておけば誠に風雅でよい。
島を巡って西南の端に来ると、そこに茶屋が一軒ある。ここの見晴らしは島中第一だ。遥かに西の空を眺めると霞の衣の上に富士山が白い頭を抜き出して、高く天に聳えている。その南に見えるのは伊豆の天城山で、またその手前に見えるのは大島だ。白い扇を逆さまにしたような富士山も良い、緑濃やかな天城山も良い。しかし大海の只中に絵のように浮かべる大島は、永く俺の写生帳に残されるべき絶景である。
後ろの松のこずえで春の小鳥がチチュチチュと鳴いている。のどかな静かな日和である。見物人は前からも後ろからもぞろぞろと数珠繋ぎになってくる。一同はこれで周囲18町の江の島を一巡りしたのである。
辺津宮を過ぎて坂道を下ると、両側に並べる店先には美しい貝細工が沢山ある絵葉書も売っている。弟思いの俺は貝細工のラッパと、記念のために江の島名勝絵葉書一組十枚買った。俺の他にも随分買う人かある。先生は学校に寄付するとて、色々な貝殻を二十ばかり買ってカバンの中に入れる。桟橋を渡って砂浜に出ると、漁師がまた地引している。