「フルサト」by ハイフェッツ


第113章 みな美しき


(2009年7月7日)

 ピアノとアコースティックギターの織り成す、静かで温かみのある前奏が素晴らしい。ブレスやアイコンタクトで音を丁寧に繋いで音楽にしていく様は、まるで仲むつまじい兄弟の会話のようでもありました。至極自然に息が合い聴き手の心をもその仲間に呼び寄せる。それは一瞬にして眠気に襲われるような心地よさを伴い、同時にいつまでもその音楽に身をゆだねていたい、と感じるようなものでした。

 そして、夏川りみが登場しました。

 沸きあがる拍手に向かって、深くお辞儀をしたあと、夏川りみは語るように歌い始めました。芽衣も知っている沖縄を代表する歌でした。「花~すべての人の心に花を」でした。沖縄の人の悲しみと優しさと明るさが同居したような、しっとりとしたメロディーと歌詞。オリジナルの男性歌手の歌は癖が強すぎて好きになれませんでしたが、夏川りみの生歌は、それとは一線を画すものでした。

 生きている以上、悲しみはいつも付きまとう。それを受け入れよう。そして泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑おう。人は流れ流される。しかし流れ着いたさきで花を咲かそうではないか。心の中に花を咲かそうよ。

 心がしびれるというのはこういうのをいうのでしょうか。気が付くと、曲は静かに終わっていました。

 その後、「童神」「愛よ愛よ」といったヒットナンバーが続きました。芽衣の心はステージの夏川りみにくぎ付けになりました・・・

 

 芽衣は学生時代、文学部所属でした。4年間の学生生活をつうじて日本文学を学びました。机を並べて競うように万葉集や古今和歌集を共に読み漁った親友の弥生(やよい)を思い出します。また、「あそぶんがくぶ」と揶揄されたほど、弥生とよく遊びました。もちろん本分の学業をおろそかにはしないつもりでしたが、アルバイトなどの「課外活動」からも多くを学びました。主に出版社系のお手伝いでしたが、そこでの経験が現在の芽衣の職業選択に決定的な影響を与えました。ゼミの学年になると、芽衣は平安文学、弥生は近代文学と分かれました。芽衣は出版社への就職を希望したのに対し、弥生は研究室に残るか国語の教師になるかを迷っていました。結局、弥生は教師の道を選びましたが、そのココロは「子供達に文学の面白さを伝えたい」「言葉の大切さを伝えたい」「様々な文章を通じて色々な考え方を子供達に学んで欲しい」。

 その連想から、昼間の取材を思い出しました。教育とは何かという重い問いかけ。暗いものをみた思いがしましたが、一方で、「学ぶことの面白さ」を真剣に考え、体あたりで生徒達に接している教師が現場にはいる。しかし現実には教育現場は崩壊し、格差が生じている。
 
  芽衣は、堂堂巡りする頭の中を振り切るようにステージに目をやりました。夏川りみのトークでした。「いやな事件が多くて耳を塞ぎたくなります。そんな悲しすぎる事件が起こらない世の中に一日でも早くなって欲しいと願っています」

 少年犯罪の低年齢化と凶悪化。突き詰めて言えば、それは大人があまりにも酷すぎるからだ、と芽衣は思います。子供が大人を信用しなくなった、というのを通り過ぎて、軽蔑するようになっている。

 この日のコンサートで、芽衣が最も心打たれた曲、それは「黄金の花」でした。夏川りみはとてもゆったりしたテンポで語りかけます。観客は皆、心打たれたのではあるまいか。そしてコンサート終了。

 

「芽衣ちゃん!」
  聞き慣れた懐かしい声にふと顔を向けると、なんと親友の弥生がコンサートホールのロビーで手を振っています。

「弥生!」
  二人は手を取り合い、思わぬ偶然に感激しました。芽衣は、頭の中で渦巻いていた様々なことから、近く弥生に会っていろいろと話したいと思っていたところでした。なので、弥生は、懐かしさや驚き以上の何か切迫したものを芽衣の表情に感じたのかもしれません。「少し話そうか」と芽衣をいざない、ロビー横の小さなカフェへ入りました。
  再会に話が弾みました。そして芽衣は胸の内を明かしました。教育現場で頑張っている弥生にはもしかすると失礼な話題かもしれないと思いつつも、話したい衝動を抑えられませんでした。聴いてくれるだけでよかったのです。弥生は時折あいづちを打ちながら聞いてくれ、そして意見をくれました。

 いろいろな話ができました。教育の大切さと同時に「癒しの時間」が必要であること。「勉強」とは「しなければならないもの」でなく「したいと思うもの」。教師は、子供が「学びたい」と思えるように「教える」ことが最大の役割。そして少しでも興味を抱いた子供を「育むこと」。そしてこのような繊細でタイミングが大事な作業に教師や親はもっと真摯になるべきだ、と。

「与謝野晶子が素晴らしい短歌を詠んでいるよ」
別れ際に弥生はそういい、詠みあげました。

  清水へ 祇園をよぎる 桜月夜
     こよひ逢ふ人 みな美しき

 芽衣は、ハッとしました。こんな美しい歌があったんだ。コンサート前の胸の高まり。夏川りみにこれから逢うぞ、というファンの人々の幸せそうな表情。それぞれに美しい。コンサート後も然り。幸せを各々のエリアへ持ち帰る。ある人は家族のもとへ、またあるひとは恋人のもとへ、幸せを運んでいく。その表情はみな美しい。そんな幸せを感じられたら、周囲の人も皆美しく輝いて見えるでしょう。そして教育に、文学に情熱を傾け熱く語る弥生もまた美しい。

 今夜は、夏川りみと、そして親友の弥生に元気をもらった!

 弥生も美しい。夏川りみも美しい。みな美しい。芽衣は・・・私は美しく見えるだろうか、と考えながらも、駅に向かう足取りも軽く、明日を信じて進んでいきました。

 

(「こよひ逢ふ人 みな美しき」完)

フルサト エッセイ 2009


夏川りみさんと遊ぼう