「フルサト」by ハイフェッツ


第104章 2008~2009歌さがしツアー!


(2009年2月15日)

 先日、中野サンプラザでの公演をラストに、2008~2009歌さがしツアーが幕を閉じました。前回のツアー「歌さがしの旅2007~2008」は「リクエストカバーアルバム」の売れ行き好調と相まって大盛況でした。今回のツアーでは、さらに幅広いファン層のリクエストに応えるかのように、プログラムに工夫の跡が感じられ、また「命のおと」に代表される強いメッセージを発信していたと思います。心臓病の子供を救おうと、募金を開始したことも特筆されるべきことと思います。

 そしてファンには嬉しい「写真集」風のツアーパンフレット。こちらでも、環境保護に対する、夏川りみさんの並々ならぬ想いが表現されていました。

 こうした活動を振り返りますと、今後の夏川さんの活動を「環境問題」「命の恵み」というキーワードで占うことができるのではないでしょうか?私自身は、今回のツアーコンサートには4回、行くことができました。ステージの上でりみさん自身によって語られる「命の大切さ」と「自然の大切さ」。りみさんの言葉を聴いたあとの、聴衆の気持ちの行方こそが大切です。

 いろいろと考えをめぐらせているうちに、あることが頭に浮かびました。

 最近は環境問題に対するコメントを発したり、自ら活動したりする著名人が増えていると思います。世間の関心が高まってきた証拠といえると思います。特に沖縄系のアーティストからは、沖縄の自然と平和への願いとが融合して、より強いメッセージを感じること、珍しくありません。

 沖縄系の、と表現しましたが、では世界に目を向けたらどうなのでしょうか?私は語学が苦手で、海外の事情を知ることは容易ではないのですが、ヨーロッパやアメリカ、そしてアジアやアフリカでは、環境問題に対する一般市民の関心はどのようなものなのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただきたいと存じます。

 環境の大切さが叫ばれる現在とは異なるでしょうが、過去の歴史を振り返ることで、自然環境に対する人々の考えを推し量ることができるかもしれませんね。よく日本の文化は「境界のない文化」と表現されることがあると、聞いたことがあります。襖や障子が代表的でしょうか、昔の民家の玄関なんかもそうだとおもいますが、うちとそとの区別が曖昧なところがあります。硬いがっしりとした壁で何もかも仕切る、とはならないのですね。

 これはおそらく日本の気候に順応しやすいからだと思うのです。日本には世界でも類を見ないほどの豊かな「四季」があります。日本の中にずっといたらありがたみは薄れるのかもしれません、むしろ「あたりまえのもの」となってしまいます。しかし「稲妻」という恐ろしい自然現象を表す言葉が、実は「稲が豊作となるにはなくてはならない、神様からの恵み」という意味をこめて、先人たちが名づけて受け継いできた、という例などからわかるように、日本人は自然との「共生」についてはるか昔から意識していたと感じることができます。

 日本人の日本人らしいところ。一言で言えば民族性なのでしょうが、そのひとつは「自然崇拝の心を今も持ち続けていること」ではないでしょうか。日本人のそうした感性はどのように養われたのでしょうか?私は、古代王朝成立のロマンを織り交ぜながら「フルサト文庫」の「もう一つの邪馬台国~里巫女伝説」において考察しました。先祖崇拝と自然崇拝。あらゆるものに命が宿り、神様が住んでいる。仏教やキリスト教が流入しても駆逐されることなく、日本流に融合していったようです。

 他方、ヨーロッパはキリスト教文化です。一神教ですね。そういえば、星の数ほど多いクラシック音楽の中にも、自然への畏敬の念を歌ったものは中々ないと思います。神への賛美は多いですが。先祖崇拝もないですね。自然を大切に、命を大切に、と歌う曲は少ないように思うのです。

 ところが実際は、環境問題への取り組みの実行力という点では、アメリカも日本もヨーロッパを見習わなければなりません。せっかく、太古の昔から自然を大切にしてきた風土があるのですから、私たちもできることからコツコツと取り組んでいきたいものですね。

 貴女のな~、声はエコなのだなあ~
(あなたのなこえはえこなのたなあ)

 最近マイブームの回文作りで表現すると夏川さんの声はエコですね(笑)。

フルサト エッセイ 2009


夏川りみさんと遊ぼう