高尾山薬王院本社



朱の鳥居の先に高尾山薬王院本社がある。正面の青銅の巨大香炉が目を引く。真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺が正式名称で有喜寺は省略される事が多い。

高尾山薬王寺の本社は飯縄権現堂で詳しい解説板が堂の前面に立っている。

薬王院飯縄権現堂(やくおういんいづなごんげんどう)


東京都指定有形文化財(建造物)
薬王院飯縄権現堂(やくおういんいづなごんげんどう)
所在地 八王子市高尾町2177
指定 昭和27年11月8日
寺の建立は、薬王院縁起によれば、天平16年(744)行基が勅命を奉じて、本尊薬師如来を安置したのに始まるとありますが、後の永和年間(1375~79)に沙源が飯綱の神を安置して中興し、これにより高尾山の信仰は世に広められたと伝えられています。権現堂の建立は棟札によると、本殿は享保14年(1729)に建立され、宝暦3年(1753)に拝殿、幣殿が再建され、当時の本殿は独立していたものと推測されます。後の文化2年(1805年)の修復の際に、本殿と幣殿屋根は連結されて権現造の形式になったと考えられます。拝殿は、木造、単層、屋根は入母屋造、銅版葺、三間四面の堂に廻り縁を付け、組物、彫刻などは江戸時代中期の社殿建築として優れた技術がうかがわれ、この頃の権現造として優秀なものです。
平成22年3月 建設
東京都教育委員会
薬王院飯縄権現堂解説板より



斜めから見た薬王院飯縄権現堂。小天狗と大天狗の立派な青銅像が左右に立っている。朱の鳥居下の左右に配された36童子立像と供に、本尊の飯綱大権現を守り従っている図である。


飯縄権現堂の傍らに福徳稲荷社があった。正面左右2匹ずつ合計4匹のきつね像の他、堂の横には沢山のおきつね様が並んでいた。



稲荷社の隣には大天狗小天狗の飯縄大権現があって周りには沢山の天狗の修行用下駄が供えられている。


実際に修行に使えそうな下駄もあるが、簡単に作られた簡易下駄とでも言えそうなものもあった。


すべて金属製の下駄で、中には見たところ軽金属製と思われるものもあった。どちらにしても相当丈夫な厚手の足袋を履かなければ足を入れられそうもない。足の指を広げるのも修行のうちになってしまいそう。



飯縄権現堂は拝殿、幣殿、本殿が一体となった造りでつながっている。この事からこのような一体となった建築様式を権現造りとも呼ぶ。


飯縄権現堂の外壁は彫刻の上に彩色が施され、豪華絢爛な絵巻物のよう。それぞれの区画を見ていると、実際にストーリー性もあるようだ。



後方の本殿側にも微細な彫刻に彩色がされており豪華さが裏手まで続いている。


薬王院飯縄権現堂の上に紅葉がかかって何と言う美しさ。といいたい所だが冬場は太陽が低いので逆光は厳しい。今思えばもう少し良い角度があったような気もするが。