江の島弁天橋
江の島に最初に橋が架かったのは明治24年(1891)。初期の橋は木造であり、台風のたびに流失したため昭和24年(1949)に橋桁が鉄筋で上部が木造の橋が、6ヶ月の歳月と延2万5000人の労働力、そして当時のお金で478万円の費用を費やし完成しました。
江の島への入島を歓迎してくれる弁天橋の海中部分の入り口に立つ石碑と日時計。この日時計は藤沢ライオンズクラブが結成15周年を記念して平成元年に建立したもの。
江の島大橋、弁天橋を
江の島植物園から眺めた所。
現在の様なコンクリートの立派な橋になったのは昭和33年(1964)。昭和39年(1964)東京オリンピックの
ヨット競技の会場として江の島が使われるために江の島弁天橋の隣に平行して架けられた自動車専用の江の島大橋が出来たのを境にそれまで取っていた渡り賃は廃止されました。
トンネルを出たところ。弁天橋の陸地部分です。
江の島弁天橋から運が良いと富士山を見ることが出来ます。
江の島から見る富士山は意外な程大きく近くに見えます。
かつては常に見ることの出来た富士山ですが、現在では冬季か強風の後、又早朝以外日中は殆ど見る事が出来ません。
この浮世絵は天保2年頃(1831)に描かれた初代葛飾北斎の「富岳三十六景 相州江之嶌」です。殆ど同じアングルからの描写ですので、江戸時代の江の島と現在を見比べる事が出来ます。
渡り賃はある時期、島への往路だけに取っていたので、小学校の遠足などでは干潮の日を選び、行きは干上がった砂の上を歩き
帰りは弁天橋を通る事が一般に行われていたようです。
現在の海中部分の橋の長さは389.1m。
幅4m。橋の中にいくつかの膨らんだ展望部があります。
弁天橋から見た片瀬川河口。
カラスにも
釣り人一人
片瀬川
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