奥津宮付近


江の島マニアック
江島神社奥津宮付近は見所が多い。
写真は現在の拝殿と後方は社殿。拝殿は昭和51年(1976)に新築された物。

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拝殿の天井に酒井抱一作の八方睨みの亀が描かれているので有名。潮風と年月で、金箔等はすべて剥がれ落ち、傷みが激しいので原画は江島神社に保存されている。
画面右上には以下が墨書されている。
       維持享和三年龍集昭陽
       大淵献之月
                 抱一製
現在あるものは野沢堤翠による模写。



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現在の拝殿

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八方睨みの亀(模写)

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現在の社殿

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拝殿から社殿を望む



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大正2年の奥津宮の写真。社殿は天保13年(1842)、拝殿は明治6年(1873)の再建。

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この写真は絵葉書として残された写真ですがやはり大正期と思われます。絵葉書は白黒写真に彩色してあるので感じは変わりますが

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この写真も絵葉書です、絵葉書には奥津宮と記されていますが、詳しくは不明。現在の社殿ではなく天保13年(1842)の建造で、撮影時期は明治期と思われます。


亀石(亀甲石)

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古い標文に「鎌倉四名石の一つで又の名を「蔵六石」という。」とあります。
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「武江年表」に文化三年弁秀堂という人が弁財天を信奉して金光明最経し、ここへ納め上に置く石を探したところ、亀の形をした石を発見したので江の島に奉納したと書かれてあります。(藤沢市観光課)

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亀石と呼ばれる理由は石を良く見るとわかります。亀の甲羅の模様が表面に浮き出ています。特に雨が上がって石の表面が乾いた時は模様がはっきり解ります。



力石

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江戸時代に日本一の力持ちと言われた卯之助(岩槻藩)が当神社に奉納したもの。

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重さ八十貫(320キロ)で石には「奉納岩槻卯之助持之八拾貫」と刻まれている。弁財天の祭礼に詣でた人々の前で力競技を行った時のものである。立て看板より

龍宮(わだつみのみや)

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御祭神  龍宮大神
江の島は湧出以来龍の棲む所となり、古来龍神様と弁財天は人々の信仰を集めて来ました。
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そして龍に関しては多くの伝説が残されている江の島です。新しい名所ですが龍宮に詣でて行きましょう。
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運が良ければ開いていて中に入ることが出来ます。



山田検校顕彰碑

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筝曲「江の島曲」の作曲者である山田流琴曲の開祖・山田検校は宝暦7年(1757)江戸に生まれた。「江の島曲」作曲の際には実際に江の島に滞在し構想を練ったという。
後に「江の島曲」は長唄にも編曲され山田検校の代表作となった。江の島とのゆかりの深い山田検校の坐像は大正6年に建立されていたが、戦時中の金属類の供出で失われ、平成になって残っていた台座の上に新しく坐像が再建された。

御手水舎

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この御手水舎は東京材木問屋熊野屋安兵衛の奉納で耳ある亀を前柱の礎石に 銅の葺き流れ造りである。

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鋳銅の亀は東京在住の青山建作氏が昭和五十四年参拝三十周年を記念して多年蓄積の浄財を充て再復奉納されたものである。
江島神社

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御手水舎の隣りには江戸時代風の御手洗いもある。
綺麗なトイレなので、寄って行くと良い。