「フルサト」by ハイフェッツ
第74章 小さな恋のうた
(2008年1月28日)
1月のある木曜日、会社からの帰りに駅のホームで本を読みながら電車を待っていたところ、若い女性の明るいに声に声をかけられて、少し驚きました。
「ハイフェッツさん、ご無沙汰しております」
ふと顔を上げると、そこには生命保険会社の営業部Uさんのにこやかな笑顔が!私は嬉しくなって微笑みました。胸の中に一気に春が訪れたと形容できるでしょうか。
「ご無沙汰はお互いさまですよ。それより貴女、少しやせたのではないですか?」
仕事に追われて過度の残業に加えて、休日出勤を余儀なくされていると聞いておりましたので、心配していたのでした。果たしてUさんは答えました。
「すこし・・・ですけれど。最近疲れ気味ですよ」
彼女にしては珍しく弱音かなと、私は感じました。
「仕事きつい?今日は少し早めに帰れるのかな?」
時計は20時を少し回ったくらい。
電車が到着しました。私は読みかけの本を鞄に仕舞いながら「乗りましょうか」。渋谷へ向かう電車のなかで、運良く私たち二人は並んで座ることができました。彼女はモデル体型の美人で、やや丸顔なお顔のラインが私は大好きで、親しみを感じる目元にストレートショートの美しい艶のある髪が本当に女性らしい。有態に言えば、私はUさんに恋しているのかもしれません。
昨年11月にUさんにCDをプレゼントしました。そのCDは、ある女性シンガーが自身の原点を見つめなおすべく歌探しの旅に出た結果を一つの形として表したアルバムでした。私はそのシンガーの歌を「心の歌」だと思います。大好きなUさんにぜひ聴いてほしいと思って渡しました。
「私は『小さな恋のうた』がとても好きですよ」と電車の中の会話でUさんは言ってくれました。ああ、聴いてくれたんだ、と私は素直に喜びました。「とても好きですよ」と話すUさんの表情はとても魅惑的ですが、どこかさびしそう。
Uさんに訊ねたことがあります。Uさんが将来結婚する相手はどんな男性なんでしょうね?彼女は「ハイフェッツさん、何聞くんですか!セクハラですよ!」と顔を赤くしてテレ笑い。そして「彼はいないんです。今はお仕事のことしか考えられないんです」とちょっぴり残念そう。本当に真面目なUさんです。
渋谷がまもなくです。皆がそれぞれにそれぞれの「小さな恋のうた」を持っています。私には私の、UさんにはUさんの、アルバムの女性シンガーにも「小さな恋のうた」。
渋谷に着きました。ここでUさんとはお別れです。名残惜しいが仕方ありません。ホームで「じゃあね」と手を振り、お互い反対方向に歩き始めます。
私は抑え切れなくなり、不意に立ち止まり振り返りました。そして彼女に届くように、私にしては少し大きめの声で呼びました。
「Uさん!」彼女は振り返ります。私は続けます。
「Uさん!このまま帰ってしまうの?温かいもの食べに行こうよ!」
Uさんは驚き、そして次の瞬間には笑顔になりました。
「本当に?嬉しい!お腹空いてたんです!」
Uさんは走りよってきて「じゃあ行きましょう!お店は任せてくださいね!」。Uさんは私の腕を取り歩き始めます。私は彼女に言います。
「Uさんにお話したいことがたくさんあるんですよ!」
Uさんは顔をやや上気させて嬉しそうに振り返ります。その若々しい表情に心を揺らされながら、私たちは腕を組みながら夜の渋谷の街を闊歩しました。渋谷の夜はこれからです。