砲台跡と弾薬庫跡
第三台場外周の高台では史跡記念碑の反対側にあるもう一つの見所、砲台跡に行って見る。第三台場は一辺150mほどの四角形なので記念碑から砲台跡までは300mほどもあるだろうか。二基の砲台跡が残っている。
砲台跡。詳しくは不明だが見たところ台座の上にコンクリート製の復元模型を乗せたものと思われる。詳細は不明。
内部の広場に降りる。広場の中には多くの史跡が残っている。砲台跡のすぐ傍の階段を降りて右手をみると柱の基礎と石のタイルらしき並びがある。奥の丸い筒は水管の輪切りのようでもある。案内板の地図には特に何も記述がないが時代はともかく何かの建造物の跡であることは間違いない。
中央部を見ると一段深く掘られていて囲炉裏で近くで獲れた魚でも焼いていたような雰囲気もする。
周囲には5箇所の弾薬庫跡がある。すべて同じ形で奥部分はレンガでつぶされて入り口部分だけが残されている。
第六台場の根元(繋ぐ歩道側)の下から広場を眺める。遠くに陣屋跡がサイド部分から見渡せる。
陣屋跡。柱の基礎だけが残っている。基礎の数から相当の規模の兵士が常駐していたことがわかる。
第三台場の中は樹木も良く整備されている。弾薬庫跡の一つが見つからず何となく樹木の間を探してみた。
5つの弾薬庫跡の中でこの弾薬庫だけは発見に若干の手間を要し、見つけたときは嬉しかった。前面を樹木におおわれたこの弾薬庫は秘密基地の倉庫のようにも思えた。
江戸時代のものでは無いそうだがかまども残っている。キャンプ場のかまどから想像すると、円形の周囲に鍋などを乗せて火を炊き中央の煙突から煙を逃がすという事らしい。同時に最大6個の鍋が使えると言うことだろう。あるいは海辺の事でもあり風向きを考えて風下のかまどのみを選んで使うという事かも知れない。