江戸時代の江の島詣で


鎌倉,室町と幕府の信仰を集めた江の島であるが、時代が下って江戸時代ともなると戦勝祈願では無く、安産、学業成就、家内安全などを祈念するための江の島詣が始まるようになる。
特に、琵琶を抱えた裸弁天に象徴される歌舞音曲を生業とするものの信仰をも集めるようになった。
平和が続くうちに江戸の庶民にも若干の経済的余裕があるものが信仰半分、旅行半分の江の島詣を行うのが流行するようになる。現在のレジャーブームのようなものである。

当時の旅は現在の様に乗り物でその日のうちに着いて翌日は行き先でゆっくり遊ぶといったものではなく、自分で歩くか路銀に余裕があれば馬や籠に乗るといった旅行であったので江戸から江の島に着くのも2日がかりであった。
江戸時代にはただ観光のために旅をするという習慣は殆ど無く、旅には信仰という名目が付く事が多い。比較的手軽に行ける近場の信仰と観光の地として江の島は大変な人気であったようである。

当時一般的であった2つのツアーコースにそって旅をしてみよう。

江の島、鎌倉3泊4日コース例

江戸を出て東海道を進み一日目は程ヶ谷宿で一泊。翌日藤沢宿から江の島に入り江島神社と岩屋を参詣した後、鎌倉に向かう。鎌倉の手前で2泊目。翌日は鎌倉の寺と鶴岡八幡宮を参詣した後、朝比奈の切り通しを抜けて金沢(かねさわ)に向かい六浦(むつら)の景観を楽しんだ後、金沢八景の称名寺(しょうみょうじ)を参詣。江戸への帰路その日は川崎宿に宿を取る。最後の日は川崎大師を参詣の後、江戸へ帰る。
逆のコースもあります。

大山、江の島、鎌倉5泊6日コース例

早朝、江戸を出発。大山街道(矢倉沢往還、現在の厚木街道)を三軒茶屋、ニ子、溝口(みぞのくち)と進み江田か長津田で一泊後、鶴間(現町田市)、下鶴間(現大和市)、厚木と歩き伊勢原で2泊目。3日目は大山に登り大山阿夫利神社(あふりじんじゃ)を参詣。下山後、大山道を藤沢宿目指して歩き始める。夕方藤沢宿に着き3泊目。4日目は江の島に入り江島神社と岩屋を参詣した後鎌倉に向かい鎌倉の寺と鶴岡八幡宮を参詣。その後、切り通しを抜けて金沢(かねさわ)に向かい六浦(むつら)の景観を楽しんだ後、金沢八景の称名寺(しょうみょうじ)を参詣。金沢(かねさわ)宿で4日目の宿をとる。最後の日は途中、川崎大師を参詣。品川宿に宿をとり品川遊郭で精進落しをする。翌日、江戸に帰る。金沢遊郭で精進落としをして翌日一気に江戸に帰る事もある。

金沢(かねさわ) 現在の読み方は かなざわ
六浦(むつら) 現在の読み方は むつうら
ともかく現代人には想像もつかない大変な健脚である。現代の車に頼る生活からは考えられない歩きづめの旅であった。夜明け前に宿を出て途中で見物等が無ければ一日に40キロ近くは歩いた計算になる。女性の場合はもう少し余裕を持った旅になるのだろうが、1キロも歩けずタクシーに乗る現代人には考えさせられることも多い江戸時代の旅であった。
大山・江の島・鎌倉詣