江の島に縄文人登場の巻き
植物園の改修工事と遺跡発掘調査により樹木がなくなったため完全なお姿を現した江の島展望塔。この展望塔も建て替えの運命です。
2002年4月より江の島展望塔の建て替えと<植物園の改修に伴い、建て替え工事に入る前に遺跡の調査が始まった。
江の島頂上部の遺跡は約9,000年前の縄文時代前期の遺跡と推定され、土器、石器、礫など1万点あまりが出土しています。
石鏃と礫器
石核と石皿、磨石
縄文土器
当時の江の島の様子は推定するしかないのですが、江の島が片瀬側から切り離されたのが推定20,000年前と考えられています。
春の干潮時につながるようになったのが建保4年(1216)という事ですから、
19,000年間は完全な島であったわけです。
縄文時代はその島であった時代の事です。
といっても切り離されてから1万年以上が経っており砂の堆積も進んだ筈ですから、
干潮時には少し水に浸かるだけで、簡単に渡ることも出来たのでしょう。
何しろ、ぬれる服も身につけていない時代です。
私の考えでは、江の島は狼や熊などの敵から身を守り安心して寝れる、海という堀に囲まれた一等地では無かったかと思えるのです。
島とはいえ歩いて渡れますし、貝も自由に獲る事が出来ます。
水もおそらくは岩からしたたる水を使っていたのかもしれません。
しかし、このような一等地に決まった家族(グループ)が長く暮らせたかどうかは解りません。
縄文時代は人々は狩をしながら移動していたと考えられています。
米がとれない江の島では弥生時代以降は定住に適していませんから、
縄文時代こそ、女子供を島に安心して残して男は狩に出たのかも知れません。
いや、狩などやめてもっと確実な貝や魚を獲って生活する事を覚え定住を始めた家族もいたかもしれません。
オヤジが肉より魚が好きだったりしたら、なおさらです。
縄文人にとっては、どんぐりも重要な食料だったそうですから
それだったら江の島にも沢山生えています。
まさか、日本最初の縄文人定住家族が江の島家族だったりして・・・・
江の島的縄文新説でした。
写真提供 中村希