プレゼンテーション


 プレゼンテーションの第1回の演奏会は、1968年12月23日「日本現代歌曲の夕」として東京で開かれ、日本の現代作曲家12人――松平頼則、浜口正二、石井歓、石田一郎、松葉良、佐藤敏直、柴田南雄、石井五郎、中村範也、伊藤隆太、塚谷晃弘、清瀬保ニ――の作品が歌われた。それ以来、現在まで34年余、はぼ毎年「全曲初演」という原則で、会員の新作を発表し、現在まで33回のコンサートを重ねてきた。この間、石井五郎氏、塚谷晃弘氏、山岸磨夫氏は他界されたが、創立当初の会員がいまなお中心となり、新入会員も加えて、それぞれ活発な作曲活動を続けている。これほど長く続いている作曲家のグループは、他にあまり例がない。このグループのまわりには多くの日本の演奏家達もいる。これらの演奏家たちの好意的な支えがなければ、やはりこの会は存続できなかったろう。私は作曲家でも演奏家でもないが、創立以来、このグループに共感を持つ一人として、このグループの活動に加わってきた。以下、これまでの記録を要約する。

 第1回の作品には、日本の土壌で培われた伝統的な語法を現代的感覚でどう生かし、どう発展させるかという問題がとらえられている。プレゼンテーションがスタートした意味もここにあった。

 第2回は1970年10月23日、「現代の作品」として東京で開かれ、石井基斐、藤田耕平、松葉良、江崎健次郎、石井五郎、伊藤隆太、塚谷晃弘、石田一郎の器楽や歌曲に加えて、フオーレとドイツの作曲家C.シュミットのフルートとピアノのための作品も演奏された。
 プレゼンテーションを主催する音楽文化協議会の作曲家達は、その創作過程でいろいろな手法を試みていたが、この頃から東欧諸国の現代曲、とくに若手の作品に注目した。

第3回は1971年12月16日、東京で開かれ、以後このタイトルを使い全曲初演を原則とした。伊藤、石井基斐、藤田、松葉、塚谷、石井五郎の作品のほか、シュミットの新作ピアノ曲「4つの音楽的瞬間」、やはりドイツのM.シューベルトの「セレナータ・セムブリーチュ」、ポーランドのZ.ルジンスキの「三重奏曲」が初演された。国は違っても、当協議会の会員と同じ問題意識をもち、多様な手法を試みている欧米、特に未知の東欧の新進作曲家の作品を日本に紹介し、これらの作曲家達と交流も図ろうという方向が、この第3回で確立された。

第4回は1972年12月16日、藤田、伊藤、寺原伸夫、松葉、塚谷、石井五郎の作品のほか、アメリカのS.バーバーの「ピアノ・ソナタ」、ユーゴスラヴィアのD.デトーニのピアノ曲「オルフェオのコルテージ」、ハンガリーのA.ボザイのピアノ曲「変奏曲」、ポーランドのA.ドボルヴォルスキの「四重奏曲」が初演された。

第5回は1973年11月26日、寺原、山岸、松葉、石井基斐、塚谷、藤田、石井五郎の作品のほか、ドボルヴォルスキの「マグチネックテープとオーボエのための音楽」、ルーマニアのT.チョルテアのピアノ曲「マラムーレシュ民謡による四つの舞曲」、M.シューベルトの「木管五重奏曲」が初演された。

第6回は1974年10月16日、山岸、石井基斐、松葉、藤田、塚谷、石井五郎の作品のはか、C.シュミットの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」、A.ボザイの「オーボエとピアノのためのソナタ」、ユーゴスラヴィアのN.デフチッチとR.ラディツアの「ピアノのための作品」が初演された。

第7回は1976年1月14日、藤田、石井、松葉、塚谷、山岸、石井五郎の作品のはか、ハンガリーのK.ラースローの「ピアノのための四つのカノン」、ルーマニアのZ.ヴアンチェアの「弓玄楽四重奏曲第五番」が初演された。

第8回は1976年12月15日、伊東英直、藤田、松葉、山岸、塚谷、石井五郎の作品のはかハンガリーのS.ドウルコーの「ピアノのための“チャンス”」、Ⅰ.ラーングの「オーボエとピアノのための“イムプルシオーニ’’」、ユーゴスラヴィアのN.デフチッチの「ピアノのための“コラチ”」が初演された。

第9回は1978年1月19日、藤田、山岸、松葉、塚谷、石井五郎の作品のはか、ハンガリーのS Z.ユーセフ「ピアノのためのノート・ページス」、ユーゴスラヴィアのN.デフチッチ「ヴィオラとピアノのためのミクロ・チューン」が初演された。

 第10回は1979年1月16日、藤田、石井、山岸、松葉、塚谷、石井五郎の作品のほか、ハンガリーのJ.ソプローニの「インクラステーション」、ポーランドのW.コトニスキの「モノクロミア」が初演された。

第11回は1980年1月11日、藤田、石井、山岸、塚谷、松葉、石井五郎の作品のほか、ハンガリーのK.ラースロの「ピアノのためのインヴェンチオーニ」、ドイツのC.シュミットの「オーボエのためのエピソード“アウロディ”」が初演された。

第12回は1981年1月9日、藤田、石井、山岸、松葉、塚谷、石井五郎の作品のほか、ハンガリーのフサールの「5つのピアノ小品」とコチヤールの「ロルカの詩によるソプラノとピアノのためのラメンテイ」が初演された。

第13回は1982年1月20日、伊東、藤田、石井基斐、松葉、塚谷、山岸の作品のほか、ポーランドのK.セロッキの「ピアノのためのア・ピアチェレ」、W.シヤロネクの「オーボエソロのための四つのモノローグ」が初演された。なお、これらの東欧の作曲家達とはこれまで2、3人を除き、当会員が直接現地で交流し、そのうえでプレゼンテーションのための新作(または本邦初演の新作)を寄せて貰っていた。C.シュミット、A.ボザイ、Z.ルジンスキ、故A.ドボルヴォルスキは、準会員扱いとなっていた。

第14回は1983年1月19日、石井、山岸、松葉、石井基斐、塚谷、藤田の作品のほか、ポーランドのJ.オルクシニクの<ヴァイオリンとピアノのためのゼクヴェンツ>が初演された。

第15回は1984年1月17日、石井五郎、山岸、藤田、石井基斐、塚谷、松葉の作品のほか、ポーランドのルトスワフスキの<オーボエとピアノのためのエピターフ>、T.シコルスキの<フルートとピアノのためのモノディアとセクエンツア>が初演された。

 第16回は1985年1月16日、山岸、石井五郎、藤田、塚谷、松葉のほか、ポーランドのA.クシヤノフスキの<オーボエとトランペットのための3つの作品>、K.ペンデレツキの<クラリネットとピアノのための3つの小品>か初演された。

第17回は1986年7月2日、寺内、塚谷、松葉、山岸、石井、藤田のほか、ハンガリーのJ.ソプローニの<ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番>が初演された。

第18回は1987年7月4日、寺内、松葉、藤田、塚谷、山岸、伊藤のほか、ポーランドのE.ボグスワフスキの<ムジカ・ノットウルナ>が初演された。

第19回は1989年1月11日、寺内、塚谷、伊藤、藤田、山岸のほか、ポーランドのルトスワフスキの<ザッヘル変奏曲>とメイエルの<ペッツオ・カブリッチオーソ>が初演された。

第20回は寺内、山岸、藤田、松葉、伊藤、塚谷のはかポーランドのメイエルの<フルート独奏のためのソナタ>が初演された。

第21回は寺内、藤田、山岸、塚谷、伊藤のほか、ハンガリーのラーングの<星座>が初演された。

第22回は塚谷、山岸、寺内、伊藤、藤田のほか、中野洋子の「4つの小さな歌」、ポーランドのウチュクの「ピアノのための4つの小品」とクズニクの「小品集」が初演された。

第23回は山岸、伊藤、寺内、藤田、塚谷のほか、ハンガリーのアティラ・ボザイの「弦楽三重奏曲」が初演された。

第24回は塚谷、伊藤、藤田、寺内、山岸の作品が初演された。

第25回は寺内、安生、山岸、藤田、塚谷、伊藤のほか、ルトスワフスキの「グラーヴェ」が初演された。

第26回は藤田、寺内、安生、山岸、伊藤のほか、1995年10月13日急逝した塚谷がオーボエ奏者原田氏に献呈した曲及びルトスワフスキの「舞踏前奏曲」が初演された。

第27回は塚谷、寺内、山岸、伊藤、安生、藤田のほか、ポーランドのE.パワシュの「ミニアチュリ」が初演された。
 
第28回は塚谷、寺内、山岸、藤田、伊藤、安生のほか、ポーランドのA・シヤウォフスキの「ソナチナ」か初演された。

第29回は寺内、塚谷、伊藤、安生、山岸、藤田のほか、ポーランドのJ.ウチュクの「ソナチネ」が初演された。

第30回はZ.クラウゼ、寺内、安生、藤田、伊藤、山岸の作品が初演された。

第31回はグレツキ、コレルト、山岸、藤田、安生、寺内、伊藤の作品が初演された。

第32回はウチュク、コレルト、寺内、伊藤、藤田、山岸、安生の作品が初演された。

(たむら・すすむ 東京音楽大学名誉教授)