東京23区天然最高峰愛宕山登頂09 出世の階段



これが、愛宕神社正面の86段の石段、男坂。別名出世の階段と呼ばれる。上から見ると恐ろしいほどの急階段である。とりあえず降りてみて下からこの石段を眺めてみたい。


「男坂」の石段は「出世の石段」とも呼ばれている。これは、馬で一気に駆け上がり紅白の梅の枝を折って徳川家光に献上した曲垣平九郎の史実に由来している。


東京名跡 愛宕神社 出世の石段


阿(あ)と口を開いた左手の狛犬。



右手の狛犬は吽(うん)と口を閉じている。素晴らしい閉じ方だ。中途半端な閉じ方の狛犬ではありがたみはない。狛犬の後方は緩やかな石段の「女坂」。階段に自信の無い人は迷わずこちらを選ぼう。もし、転げ落ちても途中で止まる。男坂では一直線に下まで転がり落ちてしまうだろう。


出世の石段を下方眺める。恐ろしい程の急勾配である。
「新修丸亀市史」によると曲垣平九郎は江戸前期の馬術家で名は盛澄といい讃岐高松藩の丸亀城主生駒氏に仕えていた。寛永11年(1634)の1月28日に将軍徳川家光が芝増上寺参拝の帰りに愛宕山を通った。その際、馬で山頂の梅の花を折ってくる者は居ないかと家臣に問うた。3人の家来が試みるも誰も登れなかった。
続いて平九郎が申し出、一気に石段を登り紅白梅を一枝ずつ取り家光に差し出した。家光は「平九郎こそ日本一の馬術の名手」と誉め称え、名刀一振りを与えたという。
本当にこの石段を馬で登って降りたのかという疑問にたいして、愛宕神社のホームページには、実際に其の後3人の挑戦者が成功した事が記されている。
3人目にいたっては、テレビの歴史検証番組でスタントマンの方が挑戦され見事成功したそうだ。その話の方も史実と同様に面白かった。