東京23区天然最高峰愛宕山登頂06 桜田烈士



桜田烈士愛宕山遺跡碑
安政7年3月3日(1860年3月24日)、江戸城桜田門外にて水戸藩の浪士らを中心とした18士が大老・井伊直弼の行列を襲撃し暗殺した。これが桜田門外の変である。
この桜田18烈士が襲撃の当日に愛宕山で待ち合わせをした後、襲撃を決行した。


側面にはこの遺跡碑を建立した人々の名が刻まれている。
皇紀二千六百一年三月三日建立
櫻田烈士遺跡顯彰会長 三木啓次郎
故貴族院議員 室田義文
貴族院議員 徳富猪一郎
財団法人多摩聖蹟記念会長 長尾欽彌
芝区有志 芝又 四郎介
同 芝又 幸雄
大東文化学院教授文学士正四位 峰間信吉撰
金子孫二郎孫法学士 金子栄一書


裏面には桜田門外の変の簡単ないきさつと櫻田18烈士の名が刻まれている。
櫻田18烈士とは関鉄之介、岡部三十郎忠吉、稲田重蔵正辰、山口辰之介正、鯉淵要人珍陳、広岡子之次郎則頼、黒澤忠三郎勝算、斎藤監物一徳、佐野竹之助光明、大関和七郎増美、森五六郎直長、蓮田市五郎正実、森山繁之介政徳、海後磋磯之介、杉山弥一郎当人、広木松之介有良、増子金八、有村次左衛門の18名のことである。


狂歌合長者園撰



桜田烈士愛宕山遺跡碑のすぐ後ろに狂歌合長者園撰の石碑がある。社頭霞、愛宕山、甲子などに分かれて石碑いっぱいに狂歌が刻まれている。