東京23区天然最高峰愛宕山登頂04 愛宕神社由緒



放送博物館の左手に愛宕神社がある。ちょうど花見時で賑わっていたのだが、入口には
花見時 境内にての弁当、飲食堅くおことわり致します 社務所
の立て看板があった。
敷物を敷きたくなる状況なのだが、地理的に大変な事になるのは目に見えているので仕方が無い。
変わりに、食事の出来る茶屋があって昼時ということもあって大繁盛していた。


茶屋の近くに「将軍梅」 平九郎手折りの梅樹 がある。
平九郎とは愛宕山の石段を馬で登って梅の枝を将軍家光に差し出した事で名高い曲垣平九郎(まがき・へいくろう)のこと。
「新修丸亀市史」によると曲垣平九郎は江戸前期の馬術家で名は盛澄といい讃岐高松藩の丸亀城主生駒氏に仕えていた。寛永11年(1634)の1月28日に将軍徳川家光が芝増上寺参拝の帰りに愛宕山を通った。その際、馬で山頂の梅の花を折ってくる者は居ないかと家臣に問うた。3人の家来が試みるも誰も登れなかった。
続いて平九郎が申し出、一気に石段を登り紅白梅を一枝ずつ取り家光に差し出した。家光は「平九郎こそ日本一の馬術の名手」と誉め称え、名刀一振りを与えたという。
その梅樹こそがこの梅の木だという。


愛宕山の詳しい解説板がある。

愛宕山

愛宕山は洪積層の丘陵地で、標高は26メートルである。頂上に愛宕神社がまつられ、江戸時代から信仰と見晴らしの名所としてにぎわった所である。
愛宕神社の祭神は火の神(火産霊命 ほむすびのみこと)が中心で、江戸時代には幕府の保護もあり、多くの人々から火伏せの神として信仰されてきた。
今日のように周囲に高層ビルが立つまでは、山頂からの眺望がすばらしく、東京湾や房総半島までも望むことができた。
また、愛宕山には、男坂・女坂・新坂などの坂道があり、男坂は神社正面の86段の急勾配の石段で、寛永年間に曲垣平九郎がこの石段を馬で上下したと伝えられる。
昭和50年12月   東京都港区教育委員会
文化財を大切にしましょう
愛宕神社の解説板より




愛宕神社御由緒

慶長8年(1603) 9月24日建立

主祭神
火産霊命(ほむすびのみこと)火の神
 罔象女命(みずはのめのみこと)水の神
 大山祗命(おおやまづみのみこと)山の神
 日本武尊(やまとたけるのみこと)武徳の神

勝軍地蔵菩薩(勝運・出世) 普賢大菩薩(辰・巳年の守り本尊) 天神社(学業)

境内末社
太郎坊社(猿田彦神) 福寿稲荷神社(宇迦御魂神) 弁財天社(市杵島姫命) 大黒天神祠(大國主命) 恵比寿神祠(事代主命)

祭日
大祭 9月23日・24日(出世の石段祭り/隔年)
中祭 6月23日・24日(千日詣り・ほおずき縁日)
小祭 各月24日(月次祭)

当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。幕府の崇篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、祭礼等でもその都度下附金の拝領を得ておりました。また、徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」(行基作)も特別に祀られております。(非公開)
江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に焼失しましたが現存のご社殿は昭和33年再建されました。寛永11年3代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(86段)を駆け上がり、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ 「出世の石段」 の名も全国に広まりました。万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う 「桜田門外の変」 の集合場所でもありました。
(ご社殿内に額縁寄贈)
海抜26メートルは都内随一の高さを誇り、桜を見晴らしの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を残しています。明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸城無血開城へと導きました。鉄道唱歌にもその名が残り春は桜、夏の蝉しぐれ、秋の紅葉、そして冬景色を四季折々の顔を持つ風光明媚な愛宕山をして大変貴重な存在となっております。
ほおづき市・羽子板市は浅草の市の先駆け、発祥の地をして江戸時代の書 「東都歳時記」 にもその賑わいは記され現在は6月の千日詣り、羽子板絵馬にその名残をとどめています。

伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月まいり

年間神事
1月 元旦 歳旦祭 7日 七草火焚き祭(七草粥授与)
2月 節分 節分祭
6月23日 千日詣り・ほおずき縁日(24日共) 24日 中祭式(夏越しの神事)
9月23日 出世の石段祭り(隔年) 24日 大祭式
12月大晦日 除夜祭・鏡開き式
昭和20年、尊攘義軍十烈士が敗戦の国を憂い山上にて自刃・玉砕。並びに2夫人がその後を追われました。現在も慰霊碑の前で御遺族、有志の人達の手により慰霊祭が行われています。
愛宕神社の解説板より

愛宕神社


愛宕神社の総本社は京都の愛宕神社とされているが、徳川幕府の 「京都と江戸の愛宕神社は同格である」 とのお達しにより、現在二つが同格とされている。