「海の日」の由来
明治9年(1876) 明治天皇が東北巡幸の帰途、船で青森を出発し、函館を経由、7月20日に横浜に帰着しました。この航海には、岩倉具視、木戸孝允などの明治の元勲160人余が同行していました。
「横浜毎日新聞 (明治9年7月22日号) の記事には、20日午後7時30分頃相州金田沖(現在の横須賀市金田湾沖) を航行、その後艀(はしけ)に乗り換えて午後10時に大波止場(現在の象の鼻地区)に上陸したと記されています。
使用された船は 「明治丸」。明治7年(1874)英国グラスゴーの造船所で造られ、翌年横浜に回航された帰帆船で、就航当初から天皇の御乗船(ロイヤルヨット)としても利用されていました。現在は復元整備され、重要文化財として東京海洋大学構内に保存されています。
「海の記念日」 は、この7月20日にちなんで昭和16年(1941)に「制定されました。国民の祝日である「海の日」は、平成8年(1996)「海の記念日」を踏襲し 「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」このを目的に制定されました。その後平成15年(2003)の祝日法改正により、7月第3月曜日が「海の日」 となりました。
写真右上から
明治9年頃の象の鼻地区の風景 「イギリス波止場復元模型」横浜歴史博物館所蔵
「横浜毎日新聞 (明治9年7月22日号)」
復元整備された明治丸 東京海洋大学所蔵
象の鼻パーク解説板より
象の鼻パーク
象の鼻パークは横浜港発祥の地であり、横浜の歴史と未来を結ぶ象徴的な空間として、回航50周年を記念し整備されました。
開港波止場
開港波止場は港を感じることができる開放的な広場です。明治時代に港の荷役作業で使用された軌道を転車台の遺構が展示されています。
象の鼻防波堤
象の鼻防波堤は明治中期の姿に復元しています。当時のガス灯を模した照明灯が設置されているほか、工事中に発見された関東大震災で沈んだと考えられる防波堤の一部を、そのままの形で保存・展示しています。
開港の丘
開港の丘はゆるやかな斜面の草地広場です。ゆっくり腰をおろして港の雰囲気を楽しむことができます。
象の鼻テラス
休憩施設である象の鼻テラスは、文化観光交流の拠点としても活用しています。
スクリーンパネル
象の鼻防波堤から象の鼻パーク全体を包むようにスクリーンパネル(証明)が整備されており、港の夜景を彩ります。
象の鼻パーク解説板より
象の鼻パークから大桟橋をはさんで山下公園がある。山下公園の歴史は古く開園は昭和5年(1930)で、最近では数多く作られている海に面した公園としては最初期のものである。中華街や元町とも近い距離にあるため県外からも多くの観光客を集める散歩コースとして知られる。
山下公園に面した道路は街路樹が整備されて歩きやすい。右側にはホテルやホールなどが並んでいるのだが並木を通ると木の陰で見落としてしまいやすい。マリンタワーでさえ前を向いて走っていたら見落としてしまうかも知れない。
山下公園の中央口からは氷川丸の姿が見える。氷川丸は常に係留されていて動くことは無いので入船料を払えば誰でも中に入って見学も出来る。昔は船内にレストランがあったのだが今でもあるのだろうか。船内の通路があまりに狭いのに驚いた記憶がある。
道の右手に立つ横浜のシンボル マリンタワー。高層ビルが沢山建ったい現在でも横浜の象徴といったらマリンタワー。