太陽に輝く神田明神境内
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神田明神
江戸総鎮守 神田明神(正式名称・神田神社)【氏子区域】
神田 日本橋 秋葉原 大手丸の内
旧神田市場(太田市場)
築地魚市場ほか108町会の総氏神
【ご祭神】
一の宮 大己貴命(だいこく様)おおなむちのみこと
天平2年創祀
二の宮 少彦名命(えびす様)すくなひのみこと
明治7年奉祀
三の宮 平将門命(まさかど様)たいらのまさかどのみこと
延慶2年奉祀
大己貴命は、国土経営・夫婦和合・縁結びの神様。少彦名命は、商売繁盛・医薬健康・開運招福の神様。大己貴命と少彦名命は、ともに力を合わせ日本の国づくりをなさり、農耕漁業をすすめて日本人の生活の基礎をお築きになられました。さらに、医薬の道を伝え多くの人々を病苦からお救いになられた慈愛の御心をお持ちの神様です。
平将門命は、除災厄除の神様。東国の悪政に苦しむ庶民たちを自らの命を投げうって守ったお方で、江戸っ子の守り神として崇敬されてまいりました。
【ご由緒】
社伝によると天平2年(730)、武蔵国豊島郡柴崎村(現・千代田区大手町9に創建されました。延慶2年(1309)、東国の英雄で庶民たちに仰がれた平将門公が合祀され、太田道灌・北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年の関が原の戦いで、当社では徳川家康公の戦勝祈願をし御守りを授与したところ見事に勝利を得ました。これ以降、家康公の合戦勝利に因み縁起の御守り『勝守(かちまもり)』を授与するようになり、江戸幕府が開かれると幕府の深く尊崇するところとなり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門にあたる現在の地に遷座し幕府により社殿が造営されました。江戸時代を通じて江戸総鎮守として歴代の将軍はもとより江戸の庶民たちにも崇敬されました。
明治時代に入り東京・皇城の守護神として准勅祭社・東京府社に定められ、明治7年(1874)に明治天皇が親しく御参拝になりました。大正時代、関東大震災による社殿焼失後、昭和9年に氏子崇敬者の浄財により画期的な権現造の鉄骨鉄筋コンクリート・総漆塗の社殿が造営されました。
昭和20年、東京大空襲が神田。日本橋界隈を直撃しましたが、社殿はわずかな損傷のみで戦災を絶えぬき戦災で苦しむ人々に勇気と希望を与えました。
戦後、隋神門などの建造物などが再建され江戸時代にも劣らぬ江戸東京を代表する神社としての景観を整えるにいたりました。さらに平成17年には境内の整備事業が実施され、鳳凰殿や祖霊社などが新たに造営されました。
神田明神境内の案内板より
御由緒書
御社名神田神社 神田明神
御神号
神田大神 神田大明神
御祭神
大己貴命 おおなむちのみこと
天平2年創建(730年)
少彦名命 すくなひのみこと
明治7年合祀(1,874年)
平将門命 たいらのまさかどのみこと
延慶2年合祀(1,309年)
御神徳
大己貴命は別の御名を大国主命ともうしあげ少彦名命と共に国造りをなされた神さまで いまも福徳の神として 家運隆昌 事業繁栄 医薬の途を教え給い 俗にだいこくさま えびすさま として慕われ 御神徳はまことにあらたかであります。平将門公は 天慶の昔坂東の民人のために戦い 歿してのちも人々の苦情を救い災厄を除く守護神として崇められています。
御由来
社伝によると 聖武天皇の御代 武蔵国豊島郡芝崎の浜辺(現在の皇居大手門前) に宮居を定められてより壱千数百年 その間 鎌倉時代に 時宗二祖真教上人は平将門公の霊を鎮めて当社に祀り さらに 元和2年二代将軍徳川秀忠公は 現在地に壮麗な社殿を造営し遷座のうえ 江戸の総鎮守の神として 代々尊信せられました また当社の神田祭は日本三大祭りの一つとして氏子百余ヶ町よりねり出す 神輿 山車の行列は文化文政の頃を頂点として盛儀を極めたのであります 明治7年には 常陸国大洗磯前神社より 少彦名命勘請して 同年9月 畏くも 明治天皇の行幸を仰ぎ社運は弥栄え 今日に至っております
神田明神境内の案内板より
本殿を正面から
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【境内のご案内】
社殿国の登録有形文化財。昭和9年竣功。権現造・鉄骨鉄筋コンクリート・総漆朱塗の社殿。
隋神門
昭和51年に建立。総檜・入母屋造。各所に「因幡の白兎」の神話や四神、平将門公ゆかりの繋ぎ馬の彫刻がちりばめられております。
鳳凰殿
平成17年に竣功。御屋根の両端に幸福を呼ぶ瑞鳥・鳳凰を奉安。神礼授与所・参拝者待合室・休憩所を兼ねた建物。
明神会館
平成40年に完成。社殿にて神前結婚式をあげられた新郎新婦の披露宴会場として連日賑わい、また各種会議・宴席の場・催し物会場としても利用されております。
資料館
平成8年に完成。江戸文化や神田祭を伝える貴重な資料の数々が展示されております。文化財「神田明神祭礼絵巻」や山車人形などを所蔵。
だいこく様ご尊像
石造では日本一の大きさを誇る。昭和51年建立。
えびす様ご尊像
波間より魚たちとともにいらっしゃる姿をしためずらしい像。平成17年建立。
その他、境内各所に獅子山や天水桶などの文化財、銭形平次の碑、国学発祥の地碑、明治天皇御臨幸記念碑などの記念碑がございます。
神田明神境内の案内板より
【神田祭】
江戸時代の神田祭日本三大祭・江戸三大祭のひとつに数えられる代表的な日本の祭りです。
江戸の昔より、徳川将軍をはじめ江戸庶民の厚い崇敬を受けたことから天下祭・御用祭とも称えられ、神田・日本橋を中心とする町々より36本の勇壮な山車と、それに加え毎回趣向を凝らして人々の目を楽しませた附祭(つけまつり)も加わり江戸城内に参入して徳川幕府の上覧にあずかった由緒ある祭礼です。
現在の神田祭
今日の神田祭は、2年に1度は賑やかに行われます。当社の鳳輦・神輿3基をはじめとする平安絵巻さながらの祭礼行列が東京の中心である神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内の氏子108ヶ町を1日がかりで巡行します。また、各氏子の町神輿約200基が町中を練り歩き、次々と宮入参拝する様は実に壮観です。蔭祭の年には、当社の宮神輿が氏子中により担がれ渡御いたします。
神田明神境内の案内板より
神田明神の拝殿
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年中行事
1月初旬 1日 初詣 仕事始め参拝 歳旦祭
午前0時とともに開門、数十万人の初詣客で境内は賑わいます。仕事始めを迎えると、数千社の企業が「社運隆昌・商売繁盛」祈願で参拝に訪れます。
8日
神楽始め(太々神楽)
15日・16日 だいこく祭り 寒中禊 四條庖丁式 祈願串成就祭
新成人が冷水を浴び身を清める寒中禊、江戸の料理の伝統を受け継ぐ四條庖丁式など、神賑行事が目白押しです。
2月
3日 節分祭豆まき式
年男・年女たちが「鬼は外、福は内」 の声とともに福豆をまきます。どなたでもご参列いただけます。
11日 紀元祭
3月
初旬 末廣稲荷神社例祭 浦安稲荷神社例祭
4月
初旬
崇敬会桜まつり
新入学児童健育祭
祖霊社例祭
新入学の子供たちがすくすくとそだつようにお祈りする健育祭、氏子先人の御霊をお慰めする祖霊社例祭が行われます。
4日 春大祭(祈年祭)
古くは「としごえのまつり」といい、その年の五穀豊穣を祈る祭りです。境内の桜が満開の頃に行われます。
5月
中旬 神田祭 魚河岸水神社例祭
6月
1日 富士神社例祭
5日 大伝馬町八雲神社例祭
6日 小舟町八雲神社例祭
30日 夏越大祓式
盛夏に向かうこの日、半年の罪と穢れを形代に託し茅の輪をくぐることにより、心身ともに清められる神事です。毎年、多くの方々が参列されます。どなたでもご参列いただけます。
7月
初旬 大祓形代流却神事
大祓でお祓いをした形式を海に流し去り身の清浄を祈る神事です。神事船にてお台場沖に出て形代を流します。
7日 七夕祭
参拝者よりお預かりした短冊を笹に結び、多く方々が参列する中、願い事がかなうよう祈願いたします。どなたでもご参列いただけます。
8月
15日 八幡神社例祭
9月
彼岸 将門塚例祭
神田明神旧跡地・将門塚において、三の宮の御祭神・平将門命の御霊をお慰めする神事です。
10月
金刀比良神社例祭
三宿稲荷神社例祭
11月
5日 籠祖神社例祭
15日(11月中斎行) 七五三詣祝祭
三・五・七歳の子供たちの健やかな成長を祝って氏神様にお参りする行事です。毎年、晴れ着を着た多くの子供たちで境内が賑わいます。また神田明神は千歳あめ発祥の地と言われています。
25日 秋大祭(新嘗祭)
12月
12日 煤納奉告祭
23日 天長祭
31日 師走大祓式
新年に向けて、1年の罪穢れを形代に託し心身を祓い清めます。だいこく様ご尊像前にて儀式が行われます。どなたでもご参列いただけます。
31日 除夜祭
初宮詣
お生まれになられた大事なお子様のすこやかな成長を明神様にお祈りいたします。
甲子だいこく祭
毎年、甲子の日にだいこく様ご尊像の御前で神事が行われます。どなたでもご参列いただけます。
月次祭
毎月1日、15日に、崇敬者ご参列のもと御神前に感謝の意を捧げ、日々の平安を祈願いたします。どなたでもご参列いただけます。
祖霊際
毎月1日に祖霊社で行われる、氏子先人の御霊をお祀りする行事です。
神田明神境内の案内板より