伊勢原大神宮
鎮座地 神奈川県伊勢原市伊勢原3丁目8番1号御祭神
内宮 天照大御神(アマテラススメオオミカミ)
外宮 豊受姫大神(トヨウケヒメノオオカミ)
由緒
当社の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615~1624)のことであると伝えられております。
元和6年(1620)伊勢の国の人山田曾右衛門と鎌倉の人湯浅清左衛門という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと柏屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勘請し、奉祭することにいたしました。こうして創建された当社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。
伊勢の神宮では、天照皇大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉祭されています。当社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編集された「新編相模風土記稿 」にもみられ、創建依頼の伝統として現在も受け継がれております。
春 日 社
天児屋根命(アマノコヤネノミコト)を御祭神とし、皇室の御祖先天照皇大御神を奉祭する神社では、皇室を代々摂政関白としてお助けした藤原氏の氏神春日神社があわせておまつりされていることに由来する。
伊勢原大神宮の案内板より
境内に入ってみると、とても広々としています。
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矢倉沢往還(国道246号線)との交差点。ここを直進して大山を目指す。
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伊勢原高校入口
伊勢原高校入口。正面に曽我屋菓子店があり右に行くと宮ヶ瀬ダム方面。
左に行くと大山。
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五霊神社
伊勢原高校入口から800mほど行くと東名高速の高架手前に五霊神社。
広場の奥に小さな神社がぽつんとあります。
五霊神社の左手は道場のような建物。
大きい建物だがあまり使用されている気配はない。
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五霊神社の由緒書きだが、消えてよく見えません。
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東名高速のトンネル
東名高速のトンネルをくぐると景色は開ける。
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東名の高架をくぐるとすぐに611号線とのT字路。ここを右に曲がって大山を目指す。
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奥井石材店
T字路を右に曲がって100mすると奥井石材店。
色々変わった石材が置いてあるので楽しい。
庭が広い人は一ついかが?
店の入り口に日蓮宗富士山上行寺の石標が建っている。
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道灌塚交差点
奥井石材店のすぐ先に道灌塚交差点。
「この先30m右折太田道灌公墓の入口」の看板あり。
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太田道灌公墓
道灌塚の交差点を右に200mほど行くと左手に大田神社がある。
見落としてしまいそうな小さな神社だが道灌の墓はここではない。
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太田神社から150mほど行くと右手に太田道灌公之墓。
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太田道灌
太田道灌(1432~1486)は幼名鶴千代といい、成人してからは資長(すけなが)または持資(もちすけ)といった。また仏門に帰依してからは、道灌と号した。道灌が生まれた頃、父資清(すけきよ)は相模の粕屋に本拠をおいていたので、道灌は現在の伊勢原市内で生まれたものと思われる。幼い頃から非常に利発で、神童といわれていた。当時の日本は戦国時代で、各地の武将の間に戦が絶えなかった。道灌は25歳の時(1457)、武蔵野の原に、海に臨んで城と町とを築いた。後に、この城は江戸城といい、徳川幕府300年の居城となった。これにより道灌は、いまでも東京の基礎を築いた人として、その名が高い。
道灌は築城軍略の大家であるばかりでなく、詩歌(しいか)を好み、風流を愛する文武兼備の人であった。上洛の折、時の天皇の勅問に和歌をもって答えた逸話や、山吹の説話など有名な話も多い。
晩年、道灌は京都の足利幕府と公方(くぼう)とが、互いに協力して政治を行わなければ、平和は望めないと考え、力を尽くした。しかし、主君の上杉定正は、己の権力の増大のみを求めていたため、道灌は怒りにふれ、志半にして粕屋の上杉館で謀殺された。時に54歳であった。
道灌の墓のあるここ洞昌院は、道灌が関東管領上杉憲実(のりさね)の弟道悦(どうえつ)和尚のため建てた寺と、伝えられている。現在、伊勢原市では、毎年10月の第3土、日曜日に観光道灌祭を行って、道灌の偉業を偲んでいる。
昭和57年11月3日 伊勢原ライオンズクラブ
太田道灌公之墓内の案内看板より
太田道灌公之墓内の案内看板より
墓の庭園内は小さな公園のようになっています。
太田道灌と山吹の花
文武両道にすぐれ、人々から兵法の師範と称された道灌は、若年の頃は武略のみを心がけ、文の道はかえりみなかったと伝えられる。しかし、父の道眞資清は当時和歌の名手として、又、連歌の達者として知られ、馬上に打物取っては並ぶものなき勇者でもあった。
狩に出た道灌が雨にあい、雨具を借りに立ち寄った賎が家の乙女の差し出した山吹の花の意味が分からず、自ら深く愧(は)じて学問に志した説話は余りにも有名である。関東に生まれ、関東に育った武将の中で、都の文人にも劣らなかった文化人であり、又、江戸の築城に当たっては都市計画の先駆者でもあった同感の非業の死をいたんで、花が咲いても実とならぬ山吹の花をえらんで、道灌への思慕の情を托したものであろうか。
みやび男の子の
道灌さまは
花も実もある あづま武士
土地の人が歌った、道灌追慕の唄である。
洞昌院 27代当主 安達久雄
伊勢原ロータリークラブ創立10周年記念植樹
昭和63年5月30日
太田道灌公之墓内の案内看板より
伊勢原ロータリークラブ創立10周年記念植樹
昭和63年5月30日
太田道灌公之墓内の案内看板より
大山遠景
途中で大山の眺めます。
雨降山とも呼ばれる山だけに晴れなのに山頂には雲が。
撮影場所Map
少し近づいて大山を眺めます。大山は雨乞い豊作の神様の山です。
撮影場所Map
道灌塚の交差点に戻り大山を目指します。
500m進むと大津石材店がありさらに350mほどで
産業能率大学への入り口のT字路に出ます。
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石倉神社
T字路を右に10mほど曲がった左手に石倉神社の階段があります
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登って見ました。小さな神社です。お賽銭の窓も開いていませんでした。
子易明神比比多神社
安産の神様を祭る子易明神比比多神社
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子易明神比比多神社由緒
鎮座地 伊勢原市上粕屋字子易1,763番地1御祭神 神吾田鹿葦津姫命・又の御名木花咲耶姫命
例大祭 7月15日
御神徳
「天平の頃、当国守護の任にありし染谷太郎時忠(藤原鎌足の玄孫で関東総追捕使)が当国安土・子宝を願い勧請す。後、その内室懐胎に及び、信仰益々篤くひたすら安産の祈祷奉るに忽ち霊験現る。依って社頭以下設備怠りなく造営す。」と伝う。後に醍醐天皇の勅願所となり、神階・御告文その他旧記等宝殿に蔵せられしが、天正18年小田原落城の折惜しくも亡失す。雨来神号を「易産大明神」又は「子易大明神」として称え朝野の別なく尊信極めて篤く安産守護神として崇敬される。
御社殿
創立年月日不詳 ただ天平年中とのみ
以降、寛文2年修築 神宮鵜川権太夫直積 代
享保2年再建(現在の社殿 工匠は荻野の宮大工)
御神木
桜の老樹 一株 ・ 椰(なぎ)一株 ・ 共に市指定保存木
向拝の柱
往年より参拝者が子宝安産の符として削り持ち帰ったため細りしもので、現在の柱は3代目と言う。現在は社殿保持のため削るのを禁止、神共米を配布。
底抜柄杓
妊婦が安産を祈願し納めしもの。
美人図絵馬
歌川国経筆 享和2年12月吉日荻野住人神崎氏等3名納
昭和35年11月4日付 県指定重要文化財
解除の次第と祝詞
国学の四大人の一人伏見稲荷の神官荷田宿弥信満が宝永4年その門人鵜川直積に与えしもので、貴重は文献である。
(現在神官鵜川宅に所蔵)
子易明神比比多神社境内にある案内板より
板絵著色歌川国経筆美人図絵馬
いた え ちょ しょく うた がわ くに つね び じん ず え ま板絵著色歌川国経筆美人図絵馬
指定日 昭和35年11月4日
縦 117.5cm 横 83.0cm
この絵馬は厚木市上荻野出身の浮世絵師歌川国経によって描かれました。花魁(おいらん)を中心に左に新造(しんぞう、花魁付きの若い女性)、右に禿(かむろ、花魁に仕える10歳前後の少女)が描かれています。
絵馬の額面右上には「東都、一陽斎歌川豊国門人国経画」と絵師名が、右下には「上荻野 願主神崎半兵衛」、左下には「綱島佐七、神崎長佐衛門、斉藤伝右衛門」と奉納者の名が記されています。奉納した人々もまた、国経と同じ厚木上荻野の人手であったことが分かります。
歌川国経は、本名を斉藤源蔵といい、安永6年(1777)に生まれました。長じて、浮世絵界で名筆といわれ、美人画、役者絵を得意とした歌川豊国(1769~1825)の門人となりましたが、絵師としての活動は少なく、作品はわずかしか残されていません。この絵馬は、国経が26歳の時に描いたものといわれています。国経は、文化5年(1808)に32歳の若さで障害を終えています。
日向の淨発願寺の入口には、国経を偲ぶ六角形の供養塔が今も静かにたたずんでいます。
平成17年3月 伊勢原市教育委員会
子易明神比比多神社境内にある案内板より
子易明神比比多神社境内にある案内板より
易往寺
比比多神社を過ぎて500mほど行くと易往寺が道路に面して右手にあります。
気をつけていないと通り過ぎてしまいます。
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易往寺から一本道を700mほど進むとT字路があります。
左に進むと新道へ入りますが、道は広くても何もない道ですので、
迷わずまっすぐ旧道を進みます。
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阿夫利神社鳥居
T字路から200mほど進むと阿夫利神社の鳥居があります。
ここから、いよいよ阿夫利神社に入ります。
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鳥居を過ぎてすぐに旅館が目に付くようになります。
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あらたてばし
鳥居から300m程進むと赤色のあらたてばしがあります。
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あらたて橋のらんかんから川上を眺める。
橋を渡ってほんの50m進むとT字路にぶつかります。
先ほど通らなかった新道で右へ曲がって大山に向かいます。
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T字路の左側は駐車場になっていてトイレもあります。
駐車場の奥に忠霊塔があります。詳細は不明です。