大山阿夫利神社下社に到着


四の茶屋

大山・江の島・鎌倉詣で
階段を登る右手に四の茶屋。
呼び込みの声のものすごく大きなおばちゃんももいたりする。

大山・江の島・鎌倉詣で
また、階段だけれど山中に比べれば綺麗な階段だし
手すりもついて登りやすい。もう一息。

大山阿夫利神社下社

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ついに見えました、大山阿夫利神社下社の本堂が鳥居の奥に見える。



大山・江の島・鎌倉詣で
鳥居を抜けると境内は広々としている。
ちょうど菊の展示会をやっていました。

大山・江の島・鎌倉詣で
本堂をズームアップ

大山・江の島・鎌倉詣で
もう少し寄ると内部も見えますね。

大山阿夫利神社

御祭神
大山祗神(おおやまずみのかみ)
大山・江の島・鎌倉詣で神(たかおがみのかみ)
大雷神(おおいずものかみ)
大山は、またの名を「あふり山」という。あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起こったといわれる。
標高は、1,251mで、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっている。
阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人たちの心のよりどころとなり、国御岳(くにみたけ、国の護りの山)・神の山としてあがめられてきた。山野の幸をつかさどる水の神・山の神として、また、海上からは羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として信仰をあつめると共に、庶民信仰の中心として、今日に及んでいる。
山頂からは、祭りに使ったと考えられる縄文時代(紀元前約1,000年頃)の土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っている。
仏教が伝来すると神仏習合の山となり、阿夫利神社は延喜式(えんぎしき)内社として、国幣(こくへい)の社(やしろ)となった。武家が政治をとるようになると、代々の将軍たちは、開運の神として武運の長久を祈った。
引目祭(ひきめさい)・簡粥祭(つつがゆさい)・納め太刀・節分祭・山開きなど、古い信仰と伝統にまもられた神事や、神に捧げられる神楽舞(かぐらまい)・神事能・狂言などが、昔のままに伝承されている。
全山が四季おりおり美しい緑や紅葉におおわれ、神の山にふさわしい風情で、山頂からの眺望もすばらしい。都市に近いため、多くの人たちに親しまれ、常に参詣する人の姿が絶えない。
昭和57年11月3日 (平成10年10月吉日 修復)
伊勢原ライオンズクラブ
大山阿夫利神社境内の案内板より



大山・江の島・鎌倉詣で
本堂に向かって右手はこんな感じです。

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本堂の左手を入ると頂上への登山口に行けます。

大天狗の碑

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大天狗の碑由来

碑は高さ3メートル幅1メートルの小松石を使用、台石は田中佐一郎、神保朋世の造型、石工は露木久吉、表面は民族融合の文字と正宗得三郎画伯の大天狗の姿、裏面には女流歌人田中御幸の歌一首と永遠に戦争の悲惨さを封じ込め、乾燥しきった都会悪の塵を洗う、原爆12年の日にと刻まれてあります。
天狗講初代総講元小生夢坊は敗戦後、米軍占領下で軽薄な世相が氾濫するのを憂えて大山の中腹に大天狗の碑建立を発願しました。大仙は関東総鎮護の地、大天狗の邪悪を砕く不動の妙力で戦争反対、民族融合、平和を祈願、日本民族の心と未来を守ることを大山阿夫利神社目黒潔宮司、平塚市長戸川貞雄、東京作家クラブ、浅草の会等の有志と共に呼びかけました。賛成した政・官・財・文化人・芸能人は700人を超え、1957年(昭和32年)5月27日、盛大に建立式典が行われました。
これを記念して毎年5月、社務局祈祷殿で前夜祭、碑前で平和祈願祭が催されます。
2001年(平成13年)5月27日
文化集団天狗講
大山阿夫利神社境内の案内板より

菅原社

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学問の神 菅原社

菅原社は俗に天神様とも言われ、学問の神としてひろく崇敬されております菅原道真公、天菩日命(アメノホヒノミコト)を御祭神としてお祀りされております。
当社の菅原社は亀戸天満宮の氏子であり、阿夫利神社崇敬講社である堅川睦太刀講の手によ宋社氏神様の御分霊を奉歳して建立されたお社で、誠に神縁浅からぬ所であり神徳愈々光被いたしております。
学業成就、受験合格の御霊験にあやかりてご参拝下さい。
大山阿夫利神社

大山阿夫利神社境内の案内板より



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山頂を目指す方はここでお祓いをして初穂料を払います。

頂上本社語参拝の皆様へ

これよりご入山の方は、ここでお祓いして道中安全のお守りをいただいて
お登り下さい。

◎お祓いの方法、祓麻を両手で持ち左、右、左と身体を祓って下さい。
◎入山お祓い初穂料 一金 百円
大山阿夫利神社

大山阿夫利神社境内の案内板より

山頂登山口

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山頂への登山口 気合を入れてから登らないと・・・
登山ですので遭難もあるそうです。
あまり軽い気持ちで登ると道に迷ったりして危険です。



大山阿夫利神社の御祭神

大山阿夫利神社の御祭神
      大山祇大神  大雷神  高大山・江の島・鎌倉詣で
当阿夫利神社は、海抜1,252メートルの山頂に本社があり、現在地の下社御拝殿は700メートルに位置し古くより信仰活動の中心霊場であります。
神仏習合時代には石尊大権現とも称せられ堂塔は善美を盡くし、その威容と盛観を誇った社殿でありましたが、安政元年12月晦日と明くる正月2日再度にわたる山火事により一切を烏有に帰し取敢えず仮殿が再建されました。明治33年に至り時の内務大臣男爵末松謙澄の認可を得て下社御造営事業が着手されましたが、諸般の事情から本殿のみが装いを新たにいたし遂に御拝殿は手がつかぬまま対象12年の関東大震災の厄に遭遇、幸いにして倒壊は免れましたのでその災害の応急的修復をして今日に至りました。
昭和48年講社崇敬者の熱誠により御造営奉賛会が設立され5ヵ年の継続事業として御拝殿の建設が着手されました。昭和52年10月オイルショックと呼ばれる経済界の一大難局をのりこえ、崇敬者の浄財が結集され明治以来の悲願は見事に達成、荘重優雅な流れ造り形式の社殿として清楚端麗、昔日の面影をしのぶ近代建築を以て竣工を見たものであります。
山嶽幽遂の中新拝殿は神気が満ち自ら身のひきしまるを覚えます。皆様本日は遥々とよくご参拝下さいました。どうぞ俗界をはなれた当社の境域より霊気と共に相模平野を一望し遠く房総、伊豆七島の雄大な展望を一二分に御満喫下さい。
ご一家の無事息災、ご家内の安全繁栄をお祈りいたします。


山頂への登り口にある案内板より

片開きの「登拝門」について

大山は、古くより霊験あらたかな神体山として崇敬を集めているお山でありましたため、明治初年の神仏分離までは、この登拝門は夏の山開き大祭(7月27日~8月17日)期間以外は固く閉ざされ、山頂への登拝は禁止されていました。
登拝門の鍵は遠く元禄時代より、280年に及ぶ長い間、大山三大講社の一つである東京日本橋のお花講が保管し、毎年7月27日の夏開きには、お花講の手により扉は開かれる慣例となっており、現在もその精神は連綿として継承されています。
その後、明治20年には登拝者の増加に伴い、春山開き大祭(当時は4月5日~15日) が新たに設けられ、この期間の山頂登拝が出来得ることとなり、山頂登拝の規制は徐々にゆるめられました。
更に、みのげ・日向・ヤビツ峠方面等の表参道以外よりの登山道が開かれると共に、昭和40年には国定公園に指定をされ登山者は急激に増加いたしましたので要望にこたえて、現在では年間を通して常時庶民の山として登拝門は開かれるようになりました。
然し、その結果は、必然的に登拝門の伝統的意義と性格が失われてまいりましたので、ここに往時をしのびつつ登拝門のもつ史跡としての重要性を考え合わせて、一枚の扉のみを閉じて片開きといたし、その名残をとどめることといたしました。
よろしくご理解の上、ご登拝下さるようお願いいたします。

●頂上参拝をされない方は、当所より遥拝して下さい。
山頂への登り口にある案内板より





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