常夜燈の他若干のゆかりの物が保存されています。
常夜燈の説明板。下にある大石神社境内の秋葉山の常夜燈と同一。
長津田宿常夜燈二基
横浜市地域史跡 長津田宿常夜燈二基 平成元年12月25日登録県北を通る公道矢倉沢往還(やぐらさわおうかん 大山街道)は、東海道の裏道にあたり、大山参詣の信仰の道でもありました。
長津田は江戸初期から荏田とともに宿駅に指定されていました。
現在、上宿、下宿に常夜燈が残されています。当時の宿の繁栄を物語るものの一つです。
●上宿常夜燈(緑区長津田町2322-1)
総高 240cm、天宝14年(1843)に宿中の秋葉山講中が建立したもの。
●下宿常夜燈(緑区長津田町5丁目1652-1)
総高 210cm、文化14年(1817)に宿中の大山講中が建立したもの。
平成2年3月
横浜市教育委員会
長津田宿常夜燈横の説明板より
横浜市教育委員会
長津田宿常夜燈横の説明板より
その後常夜燈は移転した
長津田の常夜燈は補修された後数十メートルほど大山よりに移転した。補修した部分の石はまだ新しいが時がたてば風格が出てくるものと思う。
記
この古碑群は、古くは元禄(1690年代)より地域の信仰の場として庚申塔・道祖神・大山講・地神尊等を崇拝し、天家太平、五穀豊穣、家内安全を願い、祈り代々引き継がれて今日に至っている。
以前は田奈村長津田大字長津田字薊沢一六五二番地に昭和九年四月国より窪田トヨ、河原一平、新倉金之助、久保田五平、河原藤太郎ら五名の共同名義で払い下げを受け古碑を整備され、今日横浜市都市計画道路山下長津田線工事に伴い一部を復元し、本土地に移築整備したものである。
平成二十戊子年十二月十日
長津田宿常夜燈横の説明板より
そして新たに長津田十景の7番目として、この下宿晴嵐(しもじゅくせいらん)が選ばれている。
同時に長津田歴史探訪マップが置かれていて長津田十景の他小さな名所が紹介されており、3つのハイキングコースもモデルも提案されている。
長津田は現在急速に開発されてはいるが、まだまだ古い町並みが多く残る不思議な町。
以前の風景に戻ることにする
この旧大山街道は拡張工事中ですでに
ここから200m先までの間だけ道が広がっています。
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少し行くとまた交差点に出ます。右に行くと長津田駅。
長津田は今まで開発が遅れていて道も江戸時代のままと思える狭さです。
やっと開発が始まったばかりですが、残して欲しいものも多いのです
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大石神社
交差点から250mほどで大石神社。手前に車が登れる坂もあります。
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大石神社の境内。右手奥が本堂。
正面からの神社本堂。
巨大マンションがすぐかぶさるように迫っていて仕方無いのでしょうね。
大石神社について
当社の由緒については詳ではない。たヾ新編武蔵風土記に載る所によると、元長津田村大石権現社を称し
在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)をまつったものとつたえられている。
万有百科大事典によると、業平朝臣は平安朝前期の人(825~880)平城天皇の孫にあたらせ、古今の和歌の先駆をなし、美男で放縦な性格を持つとされて居る。
御神体はだ円形の自然石で、文字等の刻込は全くなく現在本殿に四角な台石に、下部をはめ込んで立ててある。
台石の上に現れている部分の高さは1,35米、中央部の一番広い所の幅1,10米、上部は漸次細くなりて突起となる。正面から見ると円味をおびいかにも均衡の取れた、形のよい石を田奈郷土誌にも記されている。
又、武蔵風土記に、神石は昔武相の国境にあつたが、武蔵、相模、両国の百姓己々其の帰属を主張して譲らず遂に争いとなつたが神意により
武蔵に鎮座したものと言われる、その神意とは、古老は語る、神石を積んだ車は曳けども押せども、相州方面には動かず、而して、武州方面には易々と動いたと言う。
神石の在ったところと称する地点を元石と言い、今尚その地方が現在して居るのである。
古老又曰く、業平朝臣は此の地で、その討手か、又賊かに取りかこまれ、周囲から火を放された。
火勢ようやく、衰えたあとには、人影更になく、某所に残されたものは大きな丸石たヾ一個、以上が神石にまつわる伝説である。従ってその真疑については問う所ではない。
下つて、元禄7年5月、領主岡野平兵衛社殿を修復し、更に宝暦2年6月社殿を造営した旨、現存の棟札に記してある。
大正12年5月、神明社、稲荷社を合し、同年9月1日関東大震災により石造本殿が崩壊したので、宮内省より御用材を賜りて再建したが、早急のため粗末であったので、後日現在の蔵造りに建替えをした。
又、此の当時まで境内に業平竹と言う竹林があったが今はいずこもそれらしきものは見当たらない。
昭和21年8月1日宗教法人法により神社本庁の宗教法人を設立宗教法人をして届け出て今日に至る。
尚 祭礼日は毎年10月10日を定められている。
本殿 土蔵造かわら葺 9,54平方米
拝殿 木造入母屋宮造トタン葺 19,08米
境内面積 4,308平方米
所在地 長津田町2322番地
大石神社奉賛会
大石神社の案内板より
大石神社の案内板より
大石神社の車坂にある上宿常夜燈。
上の下宿の常夜燈とまったく同じ内容です。
つまり横浜市地域史跡への登録も同時だったという事です。
長津田宿常夜燈二基
横浜市地域史跡 長津田宿常夜燈二基 平成元年12月25日登録県北を通る公道矢倉沢往還(やぐらさわおうかん 大山街道)は、東海道の裏道にあたり、大山参詣の信仰の道でもありました。
長津田は江戸初期から荏田とともに宿駅に指定されていました。
現在、上宿、下宿に常夜燈が残されています。当時の宿の繁栄を物語るものの一つです。
●上宿常夜燈(緑区長津田町2322-1)
総高 240cm、天宝14年(1843)に宿中の秋葉山講中が建立したもの。
●下宿常夜燈(緑区長津田町5丁目1652-1)
総高 210cm、文化14年(1817)に宿中の大山講中が建立したもの。
平成2年3月
横浜市教育委員会
長津田宿常夜燈横の説明板より
横浜市教育委員会
長津田宿常夜燈横の説明板より
上宿常夜燈に寄ってみます。秋葉山の文字が刻まれています。
大石神社の御手水舎。立派な龍が水を出しています。
大石神社から300mほど坂を下ると左手に南長津田団地。
南長津田団地を通り過ぎるとすぐに道は二股に分かれます。
右は田園都市線つくしの駅への道。
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200m歩くと左手に横浜田園都市病院があります。
静かな道で歩いていても楽しいです。
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246号線に合流する手前は旧大山街道の面影をもっとも残す場所。
もちろん見たことはありませんが、かつてもこんな風景だったのでしょう。
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ここで、国道246号線に合流します。
道路の右側は歩道が途切れるので信号を渡り道路の左側を歩くようにします。
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長津田から見た大山の夕暮れ