その2
島と陸地のつながった姿が柄杓(ひしゃく)に似ているので「柄之島」から「江之島」と呼ばれる様になったとする説。
説得力はありそうだが、陸地とつながったのが建保4年(1216)ということを考えると、「江嶋縁起」が記された永正2年(1047)には陸繋島で無かったわけで柄杓に似ていたからというのは無理があるのではないか。
その3
島に東浦、西浦の他 入り組んだ海岸線を持つ地形から「江之島」と呼ばれる様になったとする説。
江の島は大きく2つの山に分けられその境目が大きくくびれていることからそれを指しているとも考えられます。
その4
島の形が漢字の「江」の字に似ていることから「江之島」と呼ばれる様になったとする説。
色々な地図を眺めてもどうしても「江」の字に見えずこれは違うのではないかというのが感想です。カタカナの「エ」なら似ていますが、「江」の字からカタカナの「エ」が使われるようになったのが9世紀頃ということを考えるとやはり無理がある気がします。写真は江の島の2つの山とくびれをデフォルメして描かれた案内地図。