作者 歌川広重(うたがわ ひろしげ)初代
寛政9年~安政5年(1797~1858)
作品名 相州江乃嶋辨才天開帳詣本宮岩屋の図
制作年 弘化4年~嘉永5年(1847~52)
寸法 大判3枚続(73.9cm×36.9cm)
板元 住吉屋政五郎
所蔵者 藤沢市
江戸での「出開帳」は資料では2度程行われ大変な話題になったようである。また、「御師(おし)」と呼ばれる人々の活躍が見逃せない。「御師」は現代で言う宣伝マンで、江の島を誰が参詣したとか、参詣した誰々の難病が直っただのと、江の島を出て江戸で宣伝して歩いたのである。その中には、かなりデフォルメされたものもあったと推察される。
常時15人~20人が江戸で活躍していたとされ、宣伝のみを専業にしていたわけだから、その効果は絶大であった。
「御師」の活躍により、江の島に興味を持つものが増え、江の島を題材にした浮世絵等も売れたことであろう。浮世絵を見た庶民が江の島詣をする。江の島の宿での食事は文献によると海の幸満載の立派な物であったようだ。その土産話を聞いた人が又行きたくなるといった具合で、江の島への参詣は増えていったのであろう。
又、御師は『鎌倉攬勝考』(文政12年=1829年編)によると「島にては御師とはいはず、裏茶屋と唱ふ、西北の海岸、或いは茶屋のあたりにも住居す、家数およそ30軒ばかり、他国より講を参詣し、御師の家に宿せり、魚味の饗応をなす」とある。
御師達の家もまた裏茶屋と称して魚料理を出したりして茶屋と同じような役割をしていた事がわかる。江の島には同時に漁師町もあり、『鎌倉攬勝考』によると「東の海岸に住す、家数およそ70軒ほど」とある。客人に出す魚料理には不自由しなかったわけである。
作者 歌川国安(うたがわ くにやす)初代
寛政6年~天保3年(1794~1832)
作品名 相州江ノ嶋弁才天巌屋並祭礼之図
制作年 天保(1830~43)初期
寸法 大判3枚続(77.4cm×38.5cm)
板元 川口屋宇兵衛
所蔵者 神奈川県立歴史博物館
さて、今は観光地として有名な江の島であるが、現在の宣伝はどうなっているのであろうか。現在では、テレビ、雑誌等で何かと言うと江の島が取り上げられるので、あまり苦労は無さそうに見えるが、観光客は片瀬海岸で泳いでも中々島内には入らない様なのである。特に若い人はその様だ。
現在の「御師」は「藤沢観光協会」と「藤沢市観光課」であろう。毎年のイベントや色々な企画等、宣伝上手の伝統を守って中々健闘していると私は思う。
藤沢市は2002年秋にドラマやCM、映画などのロケーションを藤沢市内で行う際に撮影がスムースに行えるようにFC(フィルムコミッション)を設立しました。
実際には、江の島と湘南海岸が中心になるが、希望するロケーションの案内から駐車場の手配、道路使用の際の申請や手続きの非営利な代行まで撮影者には格段に便利になるという。
21世紀の「御師」やるぜ。やったね。やるではないか。
これで、また江の島もテレビや映画に登場して遊びに来る人が増えると良いですね。
参考文献 藤沢市教育委員会編「江の島浮世絵展」図録