何故、江の島は龍だらけなのか
江の島に伝わる「天女と五頭竜伝説」。これがすべての始まりである。
比叡山延暦寺の皇慶(977~1049)が永正2年(1047)に「天女と五頭竜伝説」を記した「江嶋縁起」を著しました。原本は紛失しましたが、写本には江嶋神社蔵の真名本縁起があり、それに絵筆を加えた岩本楼蔵の江嶋縁起本と、さらにその写本とされる江嶋神社蔵の江嶋縁起本があります。
江嶋縁起に記された内容とは
昔、津村(現在は鎌倉市)に周囲40里ほどもある湖があり、そこに五つの頭を持った龍が住んでおりました。その龍は、暴れ物の神々さえも手下にして、山は崩す、病を流行させる、洪水台風とまさにやりたい放題。困りきった人々は、生贄を捧げたりして静めようとしたが乱暴狼藉は止まず、村は荒れ果ててしまった。そのためこのあたりを子死越(現在の江の島対岸で鎌倉市の腰越)と呼ばれる様になった。
欽名13年(552)に子死越(腰越)前方の海に暗雲たちこめ、天地が震動してその雲の上に天女が現れ、しだいに雲がはれると海面に忽然として島が現れた。
龍は天女のあまりの美しさに人目ぼれをし、結婚を申し込むが悪行を指摘され断られる。龍はあきらめず、今後の善行を約束して結婚を果たした。
龍は神々を動員して江の島を作っていく。龍は弁財天の化身であった。
龍は、それ以降人々を守るようになった。
辺津宮本殿横にある江島弁財天の龍の銭洗。
江の島は「天女と五頭龍伝説」の島だけに龍はありがたい神様です。
龍宮(わだつみのみや)
御祭神 龍宮大神
江の島は湧出以来龍の棲む所となり、古来龍神様と弁財天は人々の信仰を集めて来ました。
そして龍に関しては多くの伝説が残されている江の島です。新しい名所ですが龍宮に詣でて行きましょう。
岩屋は龍窟とも呼ばれています。右の写真は昭和11年の岩屋入り口。現在とちがい木と竹の橋は「潮満つれば足元を洗う」風情と信仰を感じさせます。
この後、岩屋の岩壁が崩落の恐れがあるとされ昭和46年3月入窟が禁止されました。藤沢市によって平成5年4月に完全補強工事後再開されました。写真は第二岩屋奥にいらっしゃる龍神様。時々、大声をあげるので注意。
龍窟と呼ばれる現在も侵食進行中の洞窟。岩屋もこのように侵食されていったと想像させます。まだまだ小さい洞窟ですので人間が入って見学出来るようになるには気の遠くなるような時間が必要です。
片瀬側にある龍口寺のある龍口山も、かつては江の島と繋がっていたという。地殻変動と侵食作用によってしだいに龍口山と江の島は離れていくのだが、離れていった龍口山にも龍の字が付いている。
恋人の丘にある龍恋の鐘は新しい名所だが横道に入るので訪れる人は少ない。目の前には奥津宮があって皆そちらに行ってしまう。龍恋の鐘を恋人で鳴らすと別れないそうだ。以前、藤沢市でこの鐘の横の銘板に名前を入れるカップルを募集していた。私も、すぐに応募しました。