県立城ヶ島公園


一番最初に来たスロープ内の駐車場に戻ってきた。城ヶ島公園に行くにはスロープの車道を戻るのだが、歩行者用にスロープの下のトンネルを抜けると上の城ヶ島公園方面の道へ合流する様になっている。


歩行者用だが自転車も十分通れる。押しながら進むことになる。


歩行者が誰も居ないのでちょっと乗ってしまったが、完全な歩道なので降りて歩くのが正解だろう。


2003年に閉館となった県立城ヶ島ユースホステル。未だに解体はされておらず再利用もされていない。城ヶ島公園の一部のようなので何かに利用されるのだろう。


坂を登り切ると城ヶ島公園の正門に着く。


駐車場を抜けて入口に付いてみると何やら立て札が立っている。


オートバイだけではなく自転車も立入り禁止との事。最近は走っていてやたら自転車乗りが私を追い抜いていく。昔より10倍くらい愛好者が増えたようだ。もちろん仲間が増えたのは無条件に嬉しい事である。その分オートバイはうその様に減ってしまった。


城ヶ島公園の全体図があったが、結構簡単なものだったのだが、まあ公園なのでこんなものなのかも知れない。第一展望台と第二展望台があって晴れた日は絶景なのだろう。また、ゆっくり来てみたいと思う。

駐車場の方に回ると花壇の中にいくつかの解説板が立っていた。隣にこの句が刻まれた句碑があるのだが写真は撮り忘れた。

松虫にさゝで寝(ぬ)る戸や城ヶ島 たかし


秋の夜、松虫が鳴いている。島の漁家は戸締りをしないまま、松虫の鳴く声につつまれて安らかな眠りに入っている。「さゝで」は「戸締りをしないで」の意。
この俳句は、松本たかし昭和13年の作。
当時この城ヶ島には大橋はなく、三崎との渡し舟が唯一の便であった。更に東京湾防備の要塞地帯で、島へ渡るのには軍の制約があり、殊に夜に渡る人など稀なこと、初秋の夕べには虫の鳴きこぞる島となった。たかしは三崎の友の案内で虫を深ねることができた。
島の漁家のいとなみは、素朴そのもの。松虫の鳴く頃は、涼をとるため蚊帳を吊って、雨戸を開けたままで寝ている。このような島の抒情が、たかしの詩心によってうたいあげられた。
松本たかし=子規。虚子の写生を根本にした俳人。三崎の風光を愛し、しばしば来遊。
昭和31年没。その墓も三崎本瑞寺にある。
三浦市 俳誌「笛」同人会 解説板より

神奈川県指定天然記念物


神奈川県指定天然記念物
城ヶ島のウミウ、ヒメウ及びクロサギの生息地
 昭和35年5月31日指定

城ヶ島の南側、太平洋の荒波を受ける断崖は高さ約30メートル、幅2キロメートルに及び、自然景観もよく残されている。この崖の中ほどやや東に位置する赤羽根海岸周辺には、崖面の岩棚や割目にウミウとヒメウ、それにクロサギが生息することでよく知られている。
ウミウトヒメウはウの仲間で、夏季は北日本などの冷涼な地域で繁殖し、冬季には温暖な地方へ南下して冬を過ごす。城ヶ島においては、例年10月末頃から渡来し、少数のヒメウのほけ、最盛期のウミウは千数百羽を数え壮観を呈するが、やがて春になると北へ帰っていく。一方、クロサギは南方系のサギで、太平洋側では房総半島や城ヶ島を生息の北限域とする。体は黒く見えるが、くちばしと足が長くて黄色がかるので、全体黒色に見えるウミウやヒメウと区別できる。
城ヶ島赤羽根海岸周辺は、往時よりもウミウの渡来数が減少しているが、なお関東地方最大規模の渡来地として重要であり、またクロサギの太平洋側分布北限地の一つとして学術上きわめて貴重である。
注意
ウミウ等の観察や撮影は展望台からお願いします。投石や棚内への立ち入りなど、ウミウ等とその生息地の保存に影響を及ぼす行為をした者は、条例により処罰されます。
平成13年3月
神奈川県教育委員会
三浦市教育委員会
解説板より


花壇の中にウミウの生息地を示す道標がある。ウミウ展望台の方にもせっかくなので行ってみることにする。